ゼロ・グラビティ (2013):映画短評
ゼロ・グラビティ (2013)ライター7人の平均評価: 4.7
”重力”を感じさせる再生の物語が心揺さぶる
邦題が示すように、宇宙の無重力空間を体感できる本作は、まさに3Dの新たな可能性を示してくれる革新的なものだ。だが、終わってみればふわふわとした浮遊感以上に、原題のGravity=重力をしっかりと感じさせるドラマに心を揺さぶられた。
サンドラ・ブロック演じる主人公のように、人は皆、時に真っ暗闇の無重力空間で漂っているようなものなのかもしれない。そこから今一度人生を取り戻していく再生の物語が、すとんと落ちる構成のなんと鮮やかなことか。
スペクタクルな映像は圧巻! 同時に、アルフォンソ・キュアロンは無類のストーリーテラーであることを痛感させられる。
「映画」以上の体験へいざなう極限状況の旅
「映画」の概念が変わる。ほぼ全編にわたり宇宙空間。主な登場人物は2人。無駄なドラマは無い。生き延びようとする人間を臨場感たっぷりに描く。
ドキュメンタリータッチ×VFX×3D大画面。アルフォンソ・キュアロン作品の長回しが凄まじいのは、凝視させるカットの中に、生と死が激しくせめぎ合っているからだ。実人生で喪失感にさいなまれた宇宙飛行士サンドラ・ブロックの、それでも生きたいと願う“心の漂流”に同化させるドラマが、サバイバル・ロードムービーを貫く。
デジタル端末で容易に映画鑑賞が可能な今、劇場で観なければならない必然性がここにある。映画の進化形は、身体機能を拡張させる極限状況の旅だ。
無重力と孤独の中に放り込まれたら、どうする!?
看板に偽りナシの“無重力”を舞台にした映画で、宇宙空間の圧倒的な凄みが存分に伝わってくる。まさにスクリーンで、できれば3Dやアイマックスで向き合うべき体感ムービー。
宇宙ゴミの急襲や酸素の欠乏等のエピソードは緊張感を宿らせるに十分。サンドラ・ブロックが体現するパニック状態も真に迫り、危うい綱渡りの上にサバイバルが成立していることがよくわかる。
後半に“えっ!?”と声を上げたくなる非現実的な場面があり、そこで緊張感が緩むのが惜しいが、後にその非現実性に説明がつくので破綻はない。人間の生存本能や意志の力に心動かされる、このサバイバルは“自分ならどこまで持ちこたえられるか?”を考えさせる。
映画で出来る表現手段を巧みに駆使して作り上げた感覚映画
「感覚で観る」というジャンルに分類される映画がある。本作はそのジャンルで最高レベル。
映像の中で起きている出来事を、効果音、映像、音楽、と映画で出来る表現手段のすべてを駆使して観客に伝えようとするキュアロンの演出は、観客に、広大な宇宙空間で取り残される人間の感情の機微を知らぬ間に共有させる。
マジックや催眠術に近いこのテクニックは、『トゥモロー・ワールド』でキュアロンが見せた長回しに見せる演出でも知らぬうちに観客の心拍数を上げていたはずだ。
エッセンスとして加えられている人間ドラマは、客観的に考えると薄っぺらいのだが、このマジックにかかっているうちは強烈に感情に訴えてくるだろう。
『パシリム』とともに、2013年を象徴するベスト作
明らかにデジタル3D時代の『宇宙からの脱出』だが、地上管制センターは登場しない(エド・ハリスの声による交信はアリ)。そのため、観客はジョージ・クルーニー演じるベテラン飛行士、サンドラ・ブロック演じるトラウマを抱えたメディカル・エンジニアともに、“宇宙の『127時間』”ともいえるサバイバル体験を強いられることになる。ある意味、「宇宙博」などで体験するアトラクション映像のロングヴァージョンだからこそ、IMAX3Dでの“体感”を推奨したい。
アルフォンソ・キュアロン監督は長回しを連発し、観客のド肝を抜いた前作『トゥモロー・ワールド』が予行練習に過ぎなかったことを冒頭から実証。さまざまな映画的実験を試みながら、映画としてしっかり描くドラマが素晴らしい。無重力状態でも伊達男なクルーニーと最高の演技を魅せるブロックの掛け合いは、ときにコミカルで、ラブストーリー一歩手前のドラマを生み出す。“『アバター』以来の映像体験”なんて安っぽいキャッチは使いたくないが、まさにその通り。『パシフィック・リム』とともに、メキシコ人監督がハリウッドでやりきった2013年を象徴する一本だ。
絶体絶命の宇宙サバイバルに心拍数は上がりっぱなし
“宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない”ってのは「エイリアン」のキャッチコピーだが、それどころか重力も気圧も酸素も全くないのが宇宙。まさに、果てしなく広がる死の世界だ。そんな空間のど真ん中に放り出されてしまったら…という、ちょっと想像しただけでも呼吸困難に陥ってしまいそうな絶体絶命の恐怖を、ハンパない臨場感と徹底したリアリズムで観客に疑似体験させる映画と言えよう。
思うように身動きの取れない無重力のもどかしさ、残り少ない酸素と不十分な設備で本当に地球へ戻れるかというギリギリの焦燥感、そして無限の大宇宙に取り残されてしまったという途方もない孤独感。主人公が宇宙飛行士としては明らかに経験不足の女性科学者ということもあり、不測の事態の連発に見ている方の心拍数は終始上がりっぱなしだ。
そんなヒロインの絶望からの再生を通して生きることの意味を問う物語の力強さや、背景に広がる青い地球の光り輝く美しさと漆黒の宇宙の底知れぬ恐ろしさの象徴的なコントラストにも圧倒される。個人的には何でもかんでも3Dにしてみせる風潮には懐疑的だが、これは是が非でも3Dで見るべき。
決して、劇場以外では見ないでください!
まず断言。これは映画館で観なければ何の意味も効力もなし!! しかも絶対に3D、できればIMAXがおすすめ。逆にDVD発売やTV放映、ネット配信されると真価が誤解されるから、いっそ辞めたほうがいいのでは? その代わり劇場でずっと上映し続けて欲しい。
本作の技術的賛辞は他の識者の方々に任せるとして、特に筆者が感心したのは、宇宙空間と映画館を“暗闇”でつなげた発想。3D映像と客席空間を同化・連続させることで、まるでスクリーンのフレームが消滅したような立体視世界を疑似的に実現しているのだ。おかげで我々は作品の中にすっぽり包み込まれた気分になる。
かつて幻覚的な体感性をめざした『2001年宇宙の旅』、本格3D時代の扉を開けた『アバター』の先に立つ本作は、テクノロジーの進化が達成した「映画2.0」とでも呼ぶべき一本。だが同時にシンプルな視覚の驚きを志向する点で『列車の到着』や『月世界旅行』といった映画史の起源=“ゼロ地点”への回帰でもある。またドラマは簡素に凝縮されているが、S・ブロック演じるトラウマを抱えた宇宙飛行士の人生再生劇としても、一切無駄のない精度を備えていることを記しておきたい。