三度目の殺人 (2017):映画短評
三度目の殺人 (2017)ライター3人の平均評価: 3.3
所詮真実にはたどり着けない法廷システムへのアイロニカルな挑戦
弁護士福山雅治が殺人容疑者役所広司と接見を重ね、真実のありかを探る。『羅生門』には証言者の数だけ真実があった。『それでもボクはやってない』では疑わしきは罰せずが成されない裁判への批判があった。本作は、供述を二転三転させる役所の怪演によって、冷徹だが内面は虚ろな福山が翻弄されていく。まるでレクターに対峙したクラリスのように。役所の変転は、所詮真実にはたどり着けない法廷というシステムへのアイロニカルな挑戦だ。被害者家族の会話という福山の知り得ない視点が、テーマを不鮮明にした面もある。それでも、情実などでは到底片付かない、複雑怪奇な人間の所業の深奥へと向かい、高度な倫理的問い掛けは成功している。
人が人を裁くことの難しさ
是枝監督としては珍しい本格的サスペンス。しかし、冷たいエリート弁護士の人間的な成長と変化、壊れかけた(もしくは壊れた)家族の関係など、過去作品と共通する要素や設定は少なからず見受けられる。ノワリーッシュでありながらも透明感のある瀧本幹也のカメラを含め、やはり見終わった後の印象は紛れもない是枝作品だ。
法廷サスペンスでありながら最後まで真相をうやむやにすることで、日本の司法制度の危うさに警鐘を鳴らし、引いては人が人を裁くことに疑問を投げかける。多くを観客の想像や解釈に委ねる語り口は洗練されている。ただ、二転三転する物語の経緯が呑み込みづらく、次第に興味をそがれてしまうことも否めない。
ある意味、是枝監督からの挑戦状
『DISTANCE』の時代ならまだしも、是枝裕和監督がある意味、国民的存在となった現在、これだけの豪華キャストを集めた大作として、これをやってしまうことに対して、賛否あるだろう。観客は劇中の弁護士たち同様、役所広司演じる「空っぽの器」と呼ばれた容疑者の掌で転がされ続け、ラストもタイトルの捉え方も、委ねられるのだから。もちろん、それを俳優陣の演技合戦とともに堪能する作品であり、死刑制度に対してストレートに疑問を投げかける監督の熱も十分伝わる。そういう意味で、今だから撮れた映画と観ると、かなり興味深い。それにしても、ぺ・ドゥナとはいかないまでも、監督と被写体・広瀬すずとの距離は、あまりに近い。