ダーク・ブラッド (2012):映画短評
ダーク・ブラッド (2012)ライター2人の平均評価: 2
21年前のリヴァーに再会するための映画
当時23歳のリヴァー・フェニックスが急逝し、未完のままとなっていた作品。あの衝撃から21年。当然ながら、スクリーンに映し出されるリヴァーは若く美しいままだ。自分が撮影半ばで死ぬなど考えも及ばなかっただろうその姿に、同時代を生きた映画ファンならば少なからず胸が熱くなるはずだ。
未撮影部分を監督のモノローグで補完。そこは想像で補わねばならないため、やはり作品としての評価は難しいと言わざるを得ない。
そういえば数年前、かつて彼の恋人だったマーサ・プリンプトンにL.A.で会った。すっかり恰幅のいいオバちゃんとなった彼女を前にして、リヴァーが生きていたらどんな中年になっていたかと考えたものだ。
For River Phoenix Lovers Only.
これはやはりお蔵入りのままで良かった作品ではないか? 『眼には眼を』『処女ゲバゲバ』『GERRY』等、砂漠を密室と捉えた映画には不条理で異様な緊迫感があるが、ここにはとっちらかった混乱があるだけ(ま、それを不条理といえなくもないが)。母なる土地を放射能実験で穢され、妻を癌で亡くしたリヴァー。自分の身体に混ざった白人の血を「ダーク」と呼ぶインディアンの彼は、砂漠に迷いこんだ白人夫婦を“監禁”し“復讐”を仕掛けるのだが、何故呑んだくれの年上女J.デイヴィスに執着するのか理解できず、デイヴィスの感情の変化にも流れがない。そもそもすぐに逃げられるような場所なのに…。膝カックンなラストまでただ当惑のみ。
残念ではあるが興味深くもある"不完全"映画
未完に終わった故リバー・フェニックスの遺作を、20年を費やして完成させる。作り手の執念に、まず素直に敬意を表したい。
冒頭ジョルジュ・シュルイツァー監督によってその経緯が語られ、“未完の映画”であることが宣言される。なるほど、物語の転換となる主要な場面は部分的に欠けており、それらはナレーションで補完されている。その多くが感情的な高まりを掻き立てるシーンで、“実際にリバーが演じていたら?”と思うと、夭逝がつくづく惜しまれる。
リバーのファンには嬉しい作品であるのは間違いない。一方で、映画製作の断面が垣間見られるという点でとても興味深く、映画ファンならば見ておいて損はないと思う。