ニューヨーク 冬物語 (2014):映画短評
ニューヨーク 冬物語 (2014)ライター3人の平均評価: 2
『ある日どこかで』や『ジェニーの肖像』の爪の垢でも飲むべし。
僕も含め原作未読の者には凡庸で滅茶苦茶なファンタジーにしか見えないだろう。マジック・リアリズム的な虚実皮膜の摩訶不思議さは稀薄。あまりに唐突にペガサスや悪魔が現れるこの映画、魔術(マジック)はあるが現実味(リアリズム)はない(すべてを繋げる光の筋は美しいが)。『カリオストロの城』の遥かな劣化版じみた前半はまだしも、J.コネリーとその娘の話になる後半は理解不能。A.ゴールズマンの脚色の才に疑念を生じさせるに充分だ(僕は前から認めてないが)。ただ、ヒロインの妹役マッケイラ・トゥィグスの超絶的な可愛さは要チェック。その未来の姿がE.M.セイントになるんだが…えと、100歳超ってことにならない?
ニューヨークの思い切りロマンチックな横顔がここに
原作は、19世紀末から西暦2000年までの人間群像をマジックリアリズムの手法で描くアメリカ現代文学の傑作と言われる上下巻の長編「ウィンターズ・テイル」。映画化は誰が挑んでも簡単ではない。それは「ビューティフル・マインド」でオスカー受賞の脚本家アキバ・ゴーズルマンでも同じ。
しかし、映画だからこそのシーンはある。病で発熱したヒロインが「熱があるときは、すべてが光を放って、光ですべてが繋がっているのが分かる」と口にした瞬間、映像が彼女の主観映像に切り替わる、そのスリル。19世紀末の上流階級のスケート遊びは、アンティークのクリスマスカードのよう。ニューヨークの昔と今、2つの貌が味わえる。
原作の偉大さをほぼ感じさせず(注・僅かなネタバレあり)
数奇な運命を背負った男の、100年におよぶ愛の軌跡と自分探しを描くファンタジー。米国では評価の高い現代文学の映画化らしいが、残念ながら本作からその偉大さは殆ど感じられない。
日常と神話が混在する世界観について異を唱えるつもりは全くないが、原作に文学的な説得力を与えたであろうリアリズムが欠落したため、ただの甘ったるい非現実的なラブロマンスになったことは否めない。ゆえに、天使やら悪魔やらの登場も唐突な違和感しか覚えず。
ただ、20世紀初頭のN.Y.を再現した映像は文句なく美しいし、今年90歳になる往年の名女優エヴァ・マリー・セイント(「北北西に進路を取れ」)の元気な姿を拝めるのも嬉しい。