ガッチャマン (2013):映画短評
ガッチャマン (2013)世界の終わりに三角関係に悶々とする800万人に1人の適合者
冒頭のFLASHアニメ『劇場版おはよう忍者隊ガッチャマン』に微笑んだ後、観てしまった113分を象徴するもの――それは人類を救う「適合者」を集めた南部博士=岸谷五朗の風貌だ。コント・ドラマ風の取って付けたような口髭&長髪というセンス。どこまで本気なのか。「原作に囚われない」のではなく、社会性の高いテーマにも取り組んだ原作の意匠を借りる必要すらないレベルに達している。
そのまま拝借したハリウッド映画の再現の数々も、続編製作を狙ってか全てを明かさない意味不明な設定も、この際目をつぶろう。精一杯リアルを追求した、破壊や戦闘のVFX担当班が不憫だ。世界の終わりだというのに、セカイの事で頭が一杯な幼馴染み“健×ジョー×ナオミ”のウェットな三角関係にジュンの横恋慕という軽い乗りが、完全に遊離している。危機に直面しても今どきの若者は身勝手なものだと言いたげだが、現実を前に感情的に振る舞えばどうなるか。せめてプライオリティが分かる若者を、800万人に1人の適合者として選び、戦いに臨ませるべきだ――と、南部博士ではなく佐藤東弥監督に諭す者の不在が、日テレ開局60周年記念作品を迷走させてしまった。