まほろ駅前狂騒曲 (2014):映画短評
まほろ駅前狂騒曲 (2014)ライター3人の平均評価: 3
今回はそちらの松田優作ネタですか。
僕にとっては大根仁のTVシリーズのほうが映画一作目『まほろ駅前多田便利軒』よりも遥かに面白かったのだが、これまた前作に輪をかけて焦点のない出来。複数の“事件”が交錯する…というより多分に並行的に動いていくが、いずれも印象が弱く必然性にも欠けるもので、豪華キャスト揃いなのにいったい何を観てるんだか判らなくなっていく。ただひとつ間違いないのは、常に多田と行天がそこに居ること。個々のエピソードはつまらなくても、瑛太と松田龍平のどこかブロマンスな二人がいれば「まほろ」世界は成り立つ、ということで、そこに心地よさを求める人にはいいかも知れない。どちらかといえばミニシリーズ向け物語だと思うけど。
ファンとしての苦言もあるけど、安定感アリの面白さ
原作小説の世界観をかなり忠実に映画(ドラマ)化したシリーズで、前作に続いて安定感アリの面白さ。多田と行天を取り巻くキャラももはやご近所さん感覚で、見ている側がまほろ市在住のような気分になるのも醍醐味だ。2人の“付かず離れず”な距離感は今まで通りだが、心の距離感は近づく一方。ただ人気キャラを総花的に登場させたので、メインの人間関係が薄くなったのが残念。多田と亜沙子さん、行天と春ちゃんの関係性をもっと描き込んでほしかったと感じるのはファンの欲目? でも、ベッドに横たわる亜沙子さんの横でうなだれる多田(てか、瑛太!?)のプチメタボ腹に漂う男の悲哀、行天の達観を感じさせる名ゼリフには心つかまれました。
ホモソーシャルなキャラ萌えの究極形!
三浦しをん(小説)→大森立嗣(映画)→大根仁(TV)→再び大森立嗣。まるでモチをついて、こねて、のばして……というように多田(瑛太)と行天(松田龍平)のキャラがこなれていく。異なる持ち味の作家による積み重ねで魅力的なプロダクトへと成長した稀有な例だ。
今回の大森演出は大根版『番外地』が果たしたアップデート――「見た目」のポップさと、バディ的「BL感」の強調――を受け、無骨な前作より柔らかさが宿っており、会話劇としての面白さが際立っている。
それに行天の「パパ」ネタは必殺だ。スモールタウン物としては大ぶりな展開を見せるが(基本原作通り)、家族や宗教など重めのテーマを乗せても軋まないのが見事!