雪の轍 (2014):映画短評
雪の轍 (2014)ライター2人の平均評価: 4.5
己を知らぬ者に他者の痛みも苦しみも理解はできない
舞台はカッパドキア。ホテルを営む中年男アイドゥンは地元の名士であり、まるで悟りを開いた賢者のように振舞うが、実際は父親の莫大な遺産のおかげで今の地位がある。俳優として大成できなかった彼は、書物や脚本で覚えたような正論の鎧をまとって自己を正当化し、他人の欠点や過ちを蔑んで相手を悪者に仕立てる。だが、本人にはその自覚が全くない。ゆえに、他者の痛みや苦しみにも想像が及ばない。
本作はそんな彼が人生の黄昏時にしてようやく自己と向き合い、激しい葛藤を重ね、やがて再生していく姿を描く。3時間15分の長尺だが、澱みなき言葉の力と圧倒的な映像によって、最後まで観客をスクリーンに釘付けにする。稀有な作品だ。
すれ違う言葉と言葉の轍
美しい世界遺産のトルコ・カッパドキアを舞台としながら、これは極めて強固なベルイマン・スタイルの会話劇。例えば『ある結婚の風景』では、一見理想的な研究者と弁護士の夫婦バトルがえんえん繰り広げられたが、本作では裕福な夫婦を中心に、幾つか組み合わせを変えて対話ドラマの実験が行われる。図式は階級闘争的でもあり、主に浮かび上がるのは「腐れインテリ」とか「ブルジョワの欺瞞」の空虚だ。
話せば話すほど溝は深まり、核心は遠のく、だが時間を置くことでまた距離が縮まるなど、一進一退を繰り返す人と人との関係性は非常にリアル。とりわけ結局は“似た者同士”の主人公夫婦は、荒涼とした冬の風景の中に微妙な後味を残す。