自由が丘で (2014):映画短評
自由が丘で (2014)ライター4人の平均評価: 3.8
「流れる時間というのは常に現在である」(吉田健一)
いつにも増して悪戯心が目立つ素描的味わいのホン・サンス映画。ダメな男女が昼間から酒を呑みまくりながらのいつものような自然体の会話劇だが、ソ・ヨンファが加瀬亮から送られた手紙の束を階段で散らばらせ、一枚だけ拾い忘れるというシーンがさりげなく挟まれてから、映画はいきおい迷宮的様相を帯びてくる。リニアな時間軸はシャッフルされ、近年ますます比重を増してきた「夢(あるいは、あり得たかもしれない現実)」の要素と共謀するようなかたちで物語の起承転結をうやむやにさせていくのだ。かなり大胆な実験的話法なのだけれど、どこかが欠落したって意に介さない酔っ払い脳のレベルで語られるのがなんとも愉しい。
迷える人々を温かく見守る優しさに癒される
愛する女性の行方を捜して韓国へ来た無職の日本人青年と、彼が行く先々で出会うクセあり&ワケありな人々との交流をユーモラスに描く。
基本的にストーリーの時系列はバラバラだが、なにしろ主人公の人探し自体が行き当たりバッタリなので、なんら理解するに手間取ることもなく(笑)。しょっちゅう愛犬が迷子になるカフェの女主人、口だけは達者な一文無しの居候オヤジなどのサブキャラを含め、そのノンビリとしたユルさが心地よい。
と同時に、社会の主流や規範に今ひとつ適合できない人々の悲哀もジンワリと滲ませる。国籍や言葉は違えども迷える人間の悩みは一緒。そんな彼らを暖かく見守るホン・サンス監督の優しさに癒される。
相性抜群の2人の柔らかなラジカリズム
異邦人のダメ男の日々という意味では『アバンチュールはパリで』に近いホン・サンスの新作だが、今回は毎度おなじみの日記形式ではない。「順序がわからなくなった手紙」との話法で、時系列を複雑にシャッフルしているのだ。
そのせいか主人公(加瀬亮)の道行きは夢うつつな酩酊感が強く、迷宮性はサンスのデビュー作『豚が井戸に落ちた日』に重なる。本作が良い意味でエチュードっぽいのはその実験性ゆえだろう。
とりわけ驚いたのは、主人公が持ち歩いている吉田健一の『時間』(講談社文芸文庫)は加瀬が偶然持ち込んだ私物だってこと。まるでこの名エッセー集にインスパイアされた映画のようだから。彼らの相性の良さは運命的レベル!
愛すべき、ろくでなしに乾杯!
一途だがふらち、理知的だがヌケていて、状況を支配しているようで実は運命に支配されている。韓国の鬼才ホン・サンスが描く、そんなダメ人間に共感してしまう身には本作も愛すべき逸品となった。
時系列をバラバラにした物語は、頭では“マズい”とわかっていてもその時その場の感情で行動してしまう人間の実態を、おかしさや切なさとともに伝える。“浮気”という責められるべき行為でさえも、ホン監督が描くと温かみが宿るから面白い。
主演の加瀬亮は英語のセリフも日本人風で好感が持てるし、キャラも日本人としては愛おしい。とくに酔いどれ演技が素晴らしく、ホン監督の『ハハハ』と同様、見ているこちらも酒が欲しくなる。