神々のたそがれ (2013):映画短評
神々のたそがれ (2013)ライター3人の平均評価: 3.7
観客の知性と忍耐力に挑戦する怪作
これは相当に手ごわい映画である。地球よりも800年ほど文明の遅れた惑星で繰り広げられる暴力と弾圧と虐殺。ソビエト時代の恐怖政治への回帰を憂うゲルマン監督は、原作小説の枠組みを用いつつも、強烈なビジョンの洪水によって混沌とした世界を作り上げる。
撮影に6年、編集に5年。泥と汚物と内臓にまみれた世界における野蛮人たちの狂乱は見る者を圧倒するが、同時に明確なプロットがない分だけ極めて難解だ。しかも約3時間という長尺。監督の息子は本作を“反商業主義の頂点に立つ作品”と呼んでいるが、確かに本作に比べればパゾリーニの「ソドムの市」すら娯楽映画に見えてしまうかもしれない。観客を厳格に選ぶ作品だ。
泥も糞尿も内臓も同じ世界を体感する177分
泥も糞尿も人体からはみ出た内臓も区別がつかない。モノクロ映像の中でそれらの明度に差異はなく、みな柔らかく、粘りつき、形が定まらない。そのうえ、被写体が常にアップで映し出されるので、ときには近すぎて何が写っているのかも判別できず、ますます被写体同士が互いの差異を失っていく。
世界がほとんどいつもアップで映し出されるのは、主人公の額に装着された記録カメラで撮影された映像という設定ゆえだが、同時に、ここが人々がみな自分の近くしか見ない世界であることをも意味している。177分の間、そんな世界で泥にまみれ続けているうちに、観客も自分と泥の区別がつかなくなる。この尺の長さは、そんな力を持っている。
「大粛清」が常態化した地獄の惑星にて
アレクセイ・ゲルマン監督の前作『フルスタリョフ、車を!』が「大傑作」だとしたら、この遺作は「大怪作」かもしれない。圧政下で汚物にまみれ獣のように蠢く人間たち……。つまり“見るに耐えない光景”をとんでもないエネルギーで現出する3時間!
それは人間の原初的な野蛮が剥き出しになった姿だ。ゲルマンはスターリン体制の恐怖政治(特に30年代)に世界が回帰することを怖れていたらしく、その強迫観念が特異なヴィジョンにつながったのか。
退化をハードコアに煮詰めることで、ゼロ成長以降の未来を見据える予見性に達してしまう。その意味で本作はタル・ベーラの『ニーチェの馬』と双璧だと思う。あちらは荒涼、こちらは混沌。