消えた声が、その名を呼ぶ (2014):映画短評
消えた声が、その名を呼ぶ (2014)ライター3人の平均評価: 4.3
それにしてもタハール・ラヒム、超売れっ子である。
オスマン・トルコのアルメニア人大虐殺についてはA.エゴヤン『アララトの聖母』以上の知識は正直ないが、これはストレートな大河ドラマなのでより具体的。原題”The Cut”が主人公の首を切り声を失わせるナイフを意味するのは明らかだが、妻子や一族との絆を断たれた彼の境遇、さらには故郷から分断され根無し草となって散らばった民族の運命も表しているのだろう。ただしファティ・アキンはこれを三部作のうちの「悪」のパートだと述べているけれど、主人公の行動には微塵も非情さを感じられず、「愛」しかそこにないように思われるのは、まあ良しとするか。そのぶん、壮大な物語に似合った神話的な域にまでは達していないのが惜しい。
現代の混迷に向けて100年前の史実を語る
トルコ系のファティ・アキン監督が、自らのルーツとなる国で起こった1915年のアルメニア人大虐殺の事件を扱った。これは大きい。彼の問題意識は被害者と加害者という二元論を超えた「負の連鎖」だろう。その主題に加えてロードムービー仕立てなど、マフマルバフの傑作『独裁者と小さな孫』に通じる要素が多い。
話法も平易かつ巧みだ。砂漠での地獄巡りとなる前半で、主人公の鍛冶職人の男は「声」を奪われる――という象徴的な傷(原題“The Cut”)を負い、これは劇的効果も発揮する。『キッド』の上映シーンがあるが、本作の映画術はサイレントとトーキーの端境期に生きたチャップリンを参照しているはず。ラストは号泣。
“娘を訪ねて三千里”な 父の愛が胸に迫る!
働ける男性は強制労働に従事させられた後に殺害され、女子供は荒れ地に放置され、思春期の少女は他民族に売り渡される。ナチスによるホロコーストほどは知られていない“アルメニア人大虐殺”を被害者の視点から見つめていて、恐ろしい実態に身がすくむ。といっても、物語の主軸は運良く生き延びた鍛冶職人ナザレットが双子の娘を捜し続ける苦難の道のりで、それは絶望の連続でもある。しかし次々と遭遇する困難にも屈せずにひたすら歩み続けるナザレットの姿から深い家族愛が伝わり、希望と愛が人間を生かすと実感する。タフでもなく、腕っ節も強くないナザレットだが、愛する家族を守るという気持ちは『96時間』のパパと同じなのだ