サウルの息子 (2015):映画短評
サウルの息子 (2015)ライター4人の平均評価: 4.3
アウシュヴィッツで正気を保つ方法
徹底的な一人称のカメラワークが印象的だ。
周囲が見えないその手法は塚本晋也監督『野火』を彷彿とさせるが、目的は異なる。
『野火』は目の前のことに精一杯であるのに対し、
サウルは大量の死体も、ガス室の阿鼻叫喚も、見ないふり、聞こえてないふりをして
ゾンダーコマンドの任務を黙々とこなしていたのではないだろうか。
正気を保ち、人間らしくいる為に。
その中見出した、ガス室で生き残った少年という希望。
本当の息子かどうかは分からない。
でも、それはどうでもいいのだ。
彼を手厚く葬ることで、自分がそこに存在した証を託そうとしたのではないだろうか。
それをも許さぬ戦争という狂気。
ただただ、憎悪する。
全く新しい視点からホロコーストを描いた傑作
ナチスのユダヤ人強制収容所で大勢の同胞をガス室へ送り、その死体処理までさせられるユダヤ人の男サウルが、自分の息子と思しき少年の遺体を埋葬しようと奔走する。
通俗的なメロドラマ性を頑なに拒絶し、作劇的な要素の一切を排した本作は、ひたすら主人公の表情や行動にカメラの焦点を合わせることで、死体と汚物と絶望が異臭を漂わす強制収容所の暗澹たる日常を、まるで我々もその場にいるかのような臨場感で追体験させる。
確かに極めて救いのない作品だが、だからこそ人間は希望なくしては生きられない動物であることも知らしめる。たとえそれが微かな一筋の光であったとしても、我々は確かに生を実感することができるのだ。
恐ろしいのに目が離せないホロコースト物語
生き残るためには他人など構ってられないような極限の状況で、捨てられない信念を貫こうとするゾンダーコマンド、サウルの心境がヒリヒリと痛い。サウルに密着する映像の視野は狭いが、それが逆にアウシュヴィッツの残酷な現実を明らかにするカメラワークが印象に残る。ガス室に送られた囚人の阿鼻叫喚とそれを耳にするサウルの表情で恐怖は十分伝わってくるし……。正直な話、物語が進むにつれ見るのが非常に辛くなるが、かといって目を離すこともできない。サウルの物語と平行して進行するゾンダーコマンドの反乱がサスペンス感を加えるが、やはり深く考えさせられるのは人間性を保つのは何なのかということ。
目の前にあるものに圧倒され続ける
最後まで緊迫感が持続する。臨場感にただ圧倒され続ける。カメラ視点がいつも主人公のすぐ近くにあり、長回しで、主人公の目の前にあるものだけを映し出し続ける。音も、音楽はなく、その場所で聞こえるさまざまな物音や人の声が聞こえてくる。なので、観客は主人公のすぐ後にいるような感覚に陥る。監督のメネシュ・ラースローは「ニーチェの馬」のタル・ベーラの助監督出身。モノクロ映画ではないがモノクロームの印象が残るのは、主人公がいつもコンクリートで塗り固められた薄暗い建造物の中にいて、たまに屋外に出ても周囲は夜なので、常に光が少なく色彩が失われているためだが、それは主人公の目に映る世界がそのようだからでもある。