ラブレス (2017):映画短評
ラブレス (2017)ライター5人の平均評価: 4
親の身勝手な幸福追求の代償「子供の失踪」が問いかけるもの
サム・メンデスの『アメリカン・ビューティー』が戯画的すぎるように思え、ナンニ・モレッティの『息子の部屋』が優しすぎるように感じるほど、ロシアの鬼才アンドレイ・ズビャギンツェフが、家族の亀裂を見つめる眼差しは冷徹極まりない。夫婦のそれぞれが別の相手との関係に希望を見出す中、忘れ去られた小さな息子の存在が浮き彫りになってくる。プーチン体制の支配下で息苦しさが募る人々をテレビが映し出し、崩壊した家族の肖像が、社会の危機として普遍化されていく。両親の諍いが子を失踪させるという現実はわが国でも多発しているが、ここでは寒々しい光景、必死の捜索、そして重い顛末から、強い怒りと深い絶望が伝わってくる。
愛がないことに気がつかない世界で
12歳の子供が、両親が自分を愛していないこと、それに気づいていもいないことを知って、深く傷つく。両親は、子供に暴力を振るうわけではなく、住居も衣服も食事も与えており、ただ自分たちの離婚を前に、自分の新たな生活を最優先するだけなのだが、それを知るだけで子供は傷つく。そういう形の虐待がある。その類の虐待の加害者たちは、自分が加害者だという自覚がない。彼らは幸福でもないのだが、それも認めない。そういう世界が描かれる。彼らとは対照的に、すべての人々を救おうとするボランティア達の活動も描かれるが、その愛は子供が必要とした愛とは別のものだ。愛が無自覚のまま失われている世界に、いつも冷たい雪が降っている。
愛のない現代社会は、どこまでも不毛で救いがない
誰もが自分のことしか考えない現代社会。誇張されたリア充をSNSでひけらかし、他者からどう見られるかばかりにこだわる。注目されたい、羨ましがられたい、愛されたい。しかし、他者を愛し慈しむことはなおざりだ。
本作の主人公夫婦もそう。愛を求めるだけで愛を与えない男女。夫婦関係は破綻しているが、それぞれに新しい恋人がいる。2人とって12歳の息子はお荷物。その息子が突然失踪して反省するかと思いきや、お互いに相手を非難するばかり。
ラブレス=愛のない世界は、どこまでも不毛で救いがない。テレビに映し出されるウクライナ危機の惨状を、まるで他人事として無関心に見つめる母親。これはロシアだけの問題ではない。
そこらへんにある普通の醜さを深々とえぐる
共に色ボケした破綻寸前の夫婦が、無自覚なネグレクトに踏み込んでいる。これは「わかる/わからない」というより、感情移入「したくない」人間の姿だ。しかし、いや彼らはあなた自身だ、とこの映画は差し出す。エゴの本性にむりやり喰い込んでくる壮絶な家族の内戦劇である。
忽然と姿を消した子供をめぐる両親の焦燥を描くミステリーとの大枠だけ取ればヴィルヌーヴの『プリズナーズ』を連想するが、主題の置き方も展開のさせ方も全く違う。むしろ同じお題でもズビャギンツェフならこうなるという、互いの個性を示すサンプルのようで興味深い。ただ彼の過去作に比べると、今回は風景よりもっと人間にフォーカスしているように思う。
愛のない人々が生み出し、繰り返す悲劇
ラブレス(愛がない)、というタイトルは、まさにぴったり。主人公は離婚を決めた夫婦。家はすでに売りに出し、それぞれに新しい恋人もいるが、問題は12歳の息子。パパが「子供には母親が必要」、ママが「この年齢にはお父さんがいたほうが」と押し付け合うのを、息子は陰で聞いて泣く。
話が展開していくうちに、このふたりの間には最初から愛などなく、息子は望まれずに生まれてきたとわかる。そして、この母親もまた、自分の母に愛されていないのだ。
ここで起こる悲劇はすべて、愛のなさが生んだもの。この人たちはこれからもまた繰り返すのだと思うと、なんともやるせない。そんな状況を冷静な視点から語る、優れた作品。