猫は抱くもの (2018):映画短評
猫は抱くもの (2018)ライター2人の平均評価: 2
にゃんこ映画をカブったトンデモ映画
犬童一心監督作だからといって、『グーグーだって猫である』系の王道にゃんこ映画(?)を期待すると、いきなり始まるのは、アングラ芝居。目指したのは、下町版「キャッツ」だったかはさておき、そのテラヤマ感にしろ、バラエティ感を押し切る“元アイドル残酷物語”にしろ、その謎のアプローチにドン引く吉沢亮ファンの顔が見える。頼みの綱だった峯田和伸とコムアイも、2人の魅力を生かし切れず、彼らのファンでも「?」が残る仕上がりに。ロンチャーズ時代を思い起こさせる沢尻エリカのアイドル姿を拝めるという本当のダレトク映画になっているが、ひょっとしたらトンデモ映画として、後々語られるかもしれない。
小劇場的な舞台風演出は賛否が分かれるポイント
夢を諦めたつもりで諦めきれない元アイドルの女性と、そんな彼女に恋する“自分を人間だと勘違いした”猫が主人公。そんな両者が不本意な現実と折り合いをつけることで、ささやかな幸せを見出していくことになる。まことに他愛のないストーリーではあるが、猫を擬人化した舞台演劇風の演出や書き割りアニメーションなどを多用した作風が見どころだ。
ただ、表現の趣向を凝らしているわりには映像の撮り方が極めて単調なため、「予算がないから奇を衒ってみた」ような印象を受けることも否めない。小劇場的な演出や芝居のセンスも、やはり大きく賛否を分けるポイントだろう。