ラッキー (2017):映画短評
ラッキー (2017)ライター3人の平均評価: 4
デヴィッド・リンチ監督ファンにもオススメ
デヴィッド・リンチ監督には多様な側面があるが、故ハリー・ディーン・スタントンと親交が深かったことも忘れてはいけないのではないか。'90年の「ワイルド・アット・ハート」以来何作も出演し、「ストレイト・ストーリー」もあり、最新作「ツイン・ピークス The Return」にも出演していた。スタントンが彼のイメージ通りの人物を演じる本作で、リンチがその友人役を演じているのは、実生活でそうした交流があったからだろう。本作の2人が行きつけの酒場でなんということもない会話を交わすシーンを見ながら、実際の2人もこんな雰囲気だったのだろうか、実際はどんな話をしたのだろうかと想像してみる。そんな見方も楽しい。
生きること、孤独、人とのつながり。人生というものへの深い瞑想
ハリー・ディーン・スタントンの遺作にふさわしい、彼の実力と、何より彼自身がたっぷりと詰まった作品。小さな街に住む、ひとり暮らしの90歳の日常を描く今作では、大きな出来事は何も起こらない。すごいことを達成した人物というわけでもなく、ラッキーというあだ名がついたのも、それに関係している。それでも、こんなふうに長く生きてこられたこと、なにげない会話ができる人たちに囲まれていることといった、人生のすばらしさと驚きが、静かに、押し付けがましくなることなく、語られていくのだ。過去にスターンと組んだデビッド・リンチやトム・スケリットが彼と共演しているのも、胸が熱くなる。
おそらく彼の自由意志にとって「ラッキー」は最も良い言葉だ
今日も煙草を咥え、コーヒーにたっぷりのミルクと砂糖を三杯。鏡の前でカウボーイスタイルに着替える、痩身のブレない男。ハリー・ディーン・スタントンに当て書きされたというこの90歳の主人公ラッキーは、名シーンと名言だけで出来ている映画だ。晩年を迎えている彼はある時、リアリズムの定義として“THING”という概念に突き当たる。状況をありのまま受け入れること。一方“SOUL”について「そんなものない」と喝破する。
これをタフで繊細な唯物論者、あるいは実存主義者の遺言と見ることは可能だろう。ヘミングウェイの短編と山田風太郎の『人間臨終図巻』を合わせたような味わいだとか思ったり。友人役のD・リンチも愉快!