30年後の同窓会 (2017):映画短評
30年後の同窓会 (2017)ライター5人の平均評価: 4
70年代アメリカ映画を愛する映画ファンのための同窓会でもある
3人の旧友が旅をする。ベトナムで心に傷を負った50代男が仲間と共に、イラクで命を落とした息子の遺体を引き取りに行く重めのロードムービーを、笑いを織り交ぜ、寄り道しながら軽妙に綴っていくリチャード・リンクレイターの語り口は、さながら『20才だったボクが、大人になってから。』。そこはかとなく立ち上る痛恨の念。政治的信条や正義といった価値観が後退し、経済性のためのディールとフェイクが優先されるトランプの時代が、映画を覆う。原作者が同じ『さらば冬のかもめ』はもちろん、べトナム戦争を描いた作品群のその後といった趣もあり、70年代アメリカ映画を愛する映画ファンたちの同窓会としても胸に迫るものがある。
優しい嘘も意思を曲げる寛容も、これこそまさに、おっさんず人生
なかなかうまい邦題だ。イラク戦争の犠牲になった息子の遺体を引き取るという日本人には「遠い」話も、同窓会という響きが甘美な誘惑をもたらす。実際に30年ぶりの再会というのは、当時の自分に戻る「正直さ」と、その間に積み重なった負の経験をオブラートに包む「偽り」のせめぎ合いであり、この行き来を今作は何気ない会話に静かに、美しく盛り込んでいく。主人公が、ある重要な決意を翻すのも、両極の感情を中和させる「大人の判断」として胸を締めつける。
ブライアン・クランストンが「ジャック・ニコルソンの演技を無意識に参考にした」と告白するように、『さらば冬のかもめ』との45年後のリンクに、映画ファンとして再びしみじみ。
リンクレイター監督の本気を感じる意欲作
先輩風吹かすおっさんと若い兵士のあいだに友情が芽生えるロードムービーだけに、同じダリル・ポニックサン原作の『さらば冬のかもめ』の続編といえる本作。時代設定をフセインが捕まった03年12月に脚色され、さらに胸に迫る展開となった。さらに、『地獄の黙示録』で青年兵を演じたローレンス・フィッシュバーンがキャスティングした時点で、リチャード・リンクレイター監督の本気度を感じるはず。彼がニューシネマの雄、ハル・アシュビーに挑んだ意欲作として観ると、興味深く、主演3人の芸達者ぶりを堪能する良作でもある。やや間延びしてしまった感は否めないが、そのまったり感も悪くない。
ベテラン俳優3人の演技が引っ張る
戦いの場を見せることなく、戦争の残酷な実態を、人間味と、時にユーモアも交えつつ、伝えてくる。しかし、前半がぐっと胸に迫ってくるのに対し、ロードムービーになる後半は、やや息切れする感じ。それを引っ張るのは、3人の超ベテラン俳優の名演技だ。反戦のメッセージを匂わせつつも、控えめなところでとどめたのは、これを政治的映画でなく人間ドラマにしようとしたリンクレイターが意図したところなのだろうが、せっかく考えさせる要素があったのに、薄まってしまった気がする。リンクレイターらしく、セリフは優れているので、同じ俳優で、もっとコンパクトにしたバージョンを舞台で上演してみたら、おもしろいかも。
事実も嘘もあってこその人生、その温かさに迫る
他者と向き合うときに必要な誠実さとは何か? R・リンクレイターが本作で投げかけるのは、まさにそんな問いかけだ。
家族と死別して悲しみの底にいるS・カレルを挟んだ、俗のB・クランストン、聖のL・フィッシュバーンの構図が面白くも興味深い。残酷な事実を知る”俗”も、優しい嘘を信じる”聖”も人間。そんな両極の温かさを伝えるドラマであり、それを踏まえて受け止めたなら、結末も味わい深くなる。
戦争を題材にしてはいるものの、そこに重きを置かず、あくまで目の前にいる人間と人間のつながりを見つめる。必然的にそこにはユーモアが宿り、リンクレイター作品らしい温かいヒューマンドラマとなった。