アイネクライネナハトムジーク (2019):映画短評
アイネクライネナハトムジーク (2019)ライター3人の平均評価: 4.7
最後の春馬くんのキラースマイルには参った。
複数のラインが絡まり合ってドラマが生まれる伊坂幸太郎らしいスタイルだが、これは今泉恋愛映画のいつもの形式なのでまさにぴったり。台詞やアイテムやシチュエーションがロンドのように巡り踊り、どこか優雅ささえ感じさせるが、三浦と多部(いい人なんだけど煮え切らない三浦と、こんな男でいいのかと惑う多部のふんわりしたコンビがいい)の原作にはない物語を追加することで「出会った人がその人で良かったか」というテーマに全体を集約させる巧さが光る。貫地谷しほり、矢本悠馬、森絵梨佳(めっけもの!)ら好演揃いだが、後半だらしない大人たちを尻目にぐいぐい引っ張る恒松祐里と、物語の推進力でもある成田瑛基のナチュラルさがいい。
誰もが幸福な気分になれる恋愛群像劇
あまりに中村義洋監督のイメージが強すぎる、伊坂幸太郎原作の映画化。そんなプレッシャーのなか、お世辞にも器用そうに見えない今泉力哉監督の器用さが随所に光る。まるで『君に届け』のその後のような主演2人はもちろん、秀作『ジャンプ』を思い起こさせる哀愁漂う原田泰造に、「賭ケグルイ」とは違うアプローチで愛すべきチャラ男を好演する矢本悠馬などの好演もあるが、群像劇としての捌き方はさすがだ(尺も2時間以内でまとめたし!)。基本いい人しか登場しないこともあり、『愛がなんだ』に比べ、インパクトに欠け、時折TVドラマ感もあったりするが、観た後に何かしらの幸福感が訪れるのは間違いない。
完璧な「加減」の持続
モーツァルトの「小夜」曲といえば、『最低』『こっぴどい猫』で小宮一葉が演じた役名を連想するが……しかしこれは純然たる「演出家・今泉力哉」の満を持しての腕試し。鈴木謙一の脚本は原作(「メイクアップ」以外の5篇)を綺麗に再構築。伊坂幸太郎の異彩部分と、今泉の拡張領域が連結した。10年の時間経過を挟み、ミステリーの叙述トリックならぬサークル的な輪舞で人間群像が回っていく。
『愛がなんだ』は今泉スタイルの理想的なメジャー仕様だが、その前に撮影されていた『アイネ~』の「位相」は興味深い。必要以上に盛り上げず、品も強度も落ちず。心地良い張りがずっと続く。今泉的に珍しいのは「成長」の匂いが少しある事かも。