永遠の門 ゴッホの見た未来 (2018):映画短評
永遠の門 ゴッホの見た未来 (2018)ライター3人の平均評価: 4
ゴッホの視点を再現したかのようなカメラワークが素晴らしい
ゴッホがもっとも精力的に絵を描きながらも、精神的には壊れかけていた晩年2年間に光をあてたJ・シュナーベル監督のゴッホ解釈が腑に落ちる伝記映画だ。まず印象的なのがカメラワーク。焦点をずらしたり、ティルトさせたり、ゴッホの動きに同調したり。ゴッホの瞳に見えていたであろう風景が再現されていて、臨場感がはんぱない。W・デフォー演じるゴッホは情緒面に問題アリかもしれないが、南仏の自然や陽光に希望を見出したポジティブな男性にも思える。これは監督がゴッホの拳銃自殺説に関する新解釈を採用しているためだろう。映画鑑賞後に足を運んだゴッホ展の満足度は非常に高かった。
ゴッホを超えて、彼方まで連れて行ってくれる
ゴッホの目に映った世界は、きっとこうだったのに違いない。街に滞る暗く冷えた空気も、その対極にある、田舎の麦畑に満ち渡る光も。それを観客がたっぷり堪能できるように、画面はときどきゴッホの一人称視点になる。これを味わうだけでも見る価値がある。
そして、物語はゴッホの伝記なだけではない。ひとりの人間が、自分のなすべきことに真正面から取り組む姿を描く、普遍的な物語にもなっている。創作する者にとって、創るとはどのような行為なのか。この映画の主人公が見ようとするもの、彼がそれを伝えるために口にする言葉は、ゴッホを離れ、シュナーベル監督を離れて、見る者を遥か彼方まで連れて行ってくれる。
同じアーティストだからわかる、アーティストの心
ジュリアン・シュナーベルは、映画監督になるより前にアーティストとして成功を収めた人。そんな彼は、ゴッホの話を、彼の頭の中、心の中から見つめる形で語る。見上げる木々が揺れたり、話す相手の顔が迫ってきたり、足元の靴が縦横逆の構図になったりするのも、その時のゴッホがそう見ているから。彼が述べる絵画のあり方、またゴーギャンとの芸術論議などにも、同じアーティストとしてシュナーベル自身が寄せる敬意が透けてみえるようで、興味深い。彼の孤独、心の痛み、フラストレーションを露わにしつつ、ほんの少しだけ距離を置くこともする、独特の色彩を放つ肖像画だ。