在りし日の歌 (2019):映画短評
在りし日の歌 (2019)ライター5人の平均評価: 4.2
大河ドラマながら、温かみとあっさり感が持ち味
日本のお笑い芸人ぐらいアバウトな中国人監督の世代だが、ドキュメンタリー・タッチの作風も含め、明らかに第6世代なワン・シャオシュアイ監督。ひとりっ子政策から経済発展まで、盛りだくさんのエピソードをキャリア最長の尺で描く大河ドラマでも、ほかの世代と異なる、温かみとあっさり感が特徴的だ。相変わらず、女性キャラの苦悩と葛藤の演出も巧いが、人間関係がなかなか見えないこともあり、時系列シャッフル構成はやりすぎた感も。ちなみに、『アンディ・ラウのスター伝説(原題:天長地久)』と間違いそうな原題「地久天長」は、キーワードとなる中国語訳「蛍の光」、「友誼地久天長(友情はとこしえに)」から。
別れない二人
ジャ・ジャンクー、ロウ・イエと並ぶ第六世代の三羽烏のひとり(だが日本での認知は不当に低い)ワン・シャオシュアイの大衆ドラマ的強度を備えた力作。『芳華』や『帰れない二人』等と同様の『喜びも悲しみも幾年月』フォーマットで中国現代史を描くが、夫婦の喪失感を核にすることで「時間」や「個と時代」の表現に複雑なニュアンスが出ている。
中心的な主題となる一人っ子政策は少子化対策が議論される今の日本と状態は真逆だが、根は同じ。国の為に個人の出産や育児にプレッシャーをかけられる意味において。そこで傷を負いながらも、ある平凡な夫婦がどうにかやってきた姿には〈3時間の尺=30年〉の経過があるからこそ泣かされる。
国策に翻弄された庶民の傷心と赦しに涙
一人っ子政策が生んだ悲劇に翻弄される二家族の対比を軸に中国の変化を体感した。監督の語り口が非常に巧みで、長尺も気にならない。時代をジャグリングすることで主人公ヤオジュン&リーユン夫妻の心に刻まれた傷を鮮明に蘇らせる構成も効果的だ。終盤には一種の答え合わせも用意されていて、ヤオジュンの義兄弟とも言えるインミン夫妻と息子の後悔に号泣。人間が心の拠り所とすべき情と愛、贖罪と赦しの普遍性が感動的だ。国策批判と受け取れる場面も多く、中国の映倫(?)もよく通したなと驚いた。食いしん坊なので、温かな家族の象徴ともいえる食卓場面に目が釘付け。饅頭や揚げピーナッツが食べたくなること間違いなし!
時代に翻弄され続けた中国庶民の現代史
なんと厳しくも暖かく優しい映画なのだろう。’80年代から’10年代にかけて、文字通り激動・激変する中国社会を生き抜いてきた人々を描く。その中心となるのが、家族ぐるみの固い絆で結ばれた2組の夫婦。政府の方針を遵守し人民のお手本として生きるか、それとも己のルールに従って逞しく生きるか。前者を選んだ夫婦はそれゆえに、後者の夫婦に対して取り返しのつかない罪を背負ってしまう。改革・解放に一人っ子政策。30年の歳月をかけた友情・愛情、そして贖罪の物語を通じ、時代に翻弄され続けた人々の喜びと哀しみを浮き彫りにする。共産党プロパガンダや過去の美化を一切排し、中国庶民の現代史を丹念な筆致で綴った力作だ。
映画ならではの構成と演技で、「情」に深く訴えてくる
4つの時代が行き来する構成は最初こそ少し戸惑うが、この時制の移動は、人物の感情がつながるように周到に計算されている。何より、俳優たちが約30年の変化を驚くべきテクニックで「違和感なく」演じるので、時代と感情の鮮やかなリンクが表出。
人間同士の友情と愛、贖罪と、普遍的テーマを散りばめつつ、各人物に深く寄り添えたのは、3時間の長さのおかげ。しかもその長さを感じさせない「流れ」の心地よさが、今作にはある。
国策に翻弄される人々の姿が、2020年の危機とさりげなく重なるのも、ひとつの奇跡か。日本語タイトルも悪くないが、英題(さよなら、息子よ)が終盤の怒涛感とともに心に沁みわたる。まぎれもない傑作。