凱里ブルース (2015):映画短評
凱里ブルース (2015)ライター2人の平均評価: 4.5
この夜の涯てへの布石
5年前の「中国インディペンデント映画祭」で上映された際、観る者のド肝を抜いた、文字通りの“迷作”が、ついに劇場公開。電車~バイク~船などの乗り継ぎリレーに、カーウァイ×タルコフスキーな幻想的でロマンチックな世界観、そして後半40分間に及ぶロングショット(おまけに、エンジンがかかる遅さまで!)、次回作『ロングデイズ・ジャーニー』への布石ともいえる詩的なトリップ描写が連発する。劇中の主人公とともに、時間を遡っていくことによって、次回作の洗練さに驚かされるかもしれない。と同時に、長編デビュー作ならではの荒削りな部分や、身内感満載のアットホームな空気感が、作家としての強みに見えてくるだろう。
ビッグバンを五年越しで目撃する
ビー・ガンの1st、2015年の傑作。『憂鬱な楽園』のバイク走行を純粋培養した様なイメージが埋めるが(音楽が同じ林強)、『ロングデイズ・ジャーニー』から逆流で観ると低予算で荒削りだからこそ、彼の作家的サイン――才能のきらめきが露骨に認められる。
3Dの前にワンシーンワンカットがあったのは、松江哲明の『ライブテープ』から『フラッシュバックメモリーズ』への展開を参照できるだろう。亜熱帯の故郷・凱里を架空の街「ダンマイ」に昇華させる手続きは、フォークナーや中上健次、あるいはS・キング等の流儀に通じつつ、現実でも虚構でもない――映画でしかない“第三の層”を現出させようとする試みを明晰に示している。