ファナティック ハリウッドの狂愛者 (2019):映画短評
ファナティック ハリウッドの狂愛者 (2019)ライター6人の平均評価: 3
むしろストーカーと化したトラヴォルタに感情移入する
大の映画マニアが、好きな映画スターのサインを欲しいあまりストーカーと化していく…というサイコ・サスペンスなのだが、必ずしも主人公ムースをモンスターとして描いていないところがポイント。明らかに発達障害の症状が見られるムースは、中年になっても無邪気で純粋な少年のままだ。それゆえに日頃から生きづらさを抱えている彼が、ようやく会うことの出来た憧れのスターにまで冷たく拒絶されたことから、次第にその行動が常軌を逸していく。そんなムースが実に哀れ。むしろ本作のモンスターはファンを邪険に扱う映画スター、ダンバーの方だ。確かにスターとて人間だから完璧ではなかろうが、しかしやはりファンは大切にしないとね。
随所に散りばめられた映画ネタにも注目!
「マニアック!」と言われ、「オリジナルはサイコーだが、リメイクはクソ!」と言い返すキモオタの主人公だが、情報収集が甘かったり、どこか抜けているところも妙にリアル。少年期のトラウマ映画である『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』のように、何度も這い上がるトラボルタの哀愁漂う怪演もあって、何とか88分を乗り切れている。『ジョーカー』との共通項もいくつか見られるが、セレブ宅ながら、一度ならず二度、三度と不法侵入できてしまうセキュリティの甘さなど、脚本の甘さは苦笑モノ。結果、既存のストーカー映画の域は出ず、現代の『フェイドTOブラック』を期待していた者としては、肩透かし感もアリ。
トラボルタの激変ぶりから目が離せない
ジョン・トラボルタが、まるで別人。近寄りたくないアブナいオヤジにしか見えない容貌の激変ぶりもスゴイが、姿勢も動きもしゃべり方もいつも違ってこの容貌にピッタリ。この人物が画面に登場するたびに目を奪われて、トラボルタ、すげえ…と賛嘆させられるばかりでまったく見飽きないというのは、彼の役者としての力量のなせる技だろう。そのうえ、ストーリーにはヒネリもある。
監督は、トラボルタの2005年の「Be Cool」で共演して以来の親友、人気バンド、リンプ・ビスキットのフロントマン、フレッド・ダースト。親友のためにひと肌脱いでトンデモナイ役を演じるという行動も、トラボルタのイメージに似合う気がする。
トラボルタのがんばりが空回り
とにかく後味の悪い映画。とくにクライマックスのバイオレンスはまったく不必要。また、トラボルタが演じる主人公を、おそらく自閉症(その言葉は出てこないけれども)にしたのも、悪趣味な選択。ハリウッドスターがファンのストーカーに悩まされるというのは実際よくあることで、この映画もフレッド・ダーストの体験にインスピレーションを得たそうだが、ストーリーに穴があるのと(1回目はとにかくその次はどうやって家に入ったのか?セキュリティ装置が稼働するはずだが?)キャラクターが薄すぎ、リアリティがない。ファンやストーカー心理の掘り下げにもなっておらず、トラボルタのがんばりが空回りしている。
オタクの悲壮な強行突破、それは愛か?狂気か??
オタクの気持ちがわかる身としては切ないというか、イタいというか、怖いよりもそんな哀愁が刺さってくるスリラー。
とある俳優が好き過ぎて狂気に走ってしまう主人公像。家宅侵入、拉致監禁にまで踏み込む過程は確かに恐ろしい。しかし一方では、他人事と思えない部分もある。“僕はストーカーじゃない!映画が好きなだけだ!!”という心の叫びに、犯罪者と知りつつ不覚にも同情の余地を覚えてしまった。
それにしてもトラボルタの怪演だ。自称レアシャツに半スボン、珍妙なおかっぱ頭というルックスもさることながら、他人の目を見ない話し方やモジモジとした素振りまで、内向性を表現しきっている。これだけでみ見る価値アリ!
期待どおりの狂気に、ハリウッド的ネタを適度にトッピング
ストーカーものとしては、暴走する行為を止められない主人公→一線を超える狂気のレベル→観ているこちらの神経を逆なで、という流れは期待どおり。そこに今作は「ただ、映画が好きなだけだ!」と主人公が心の叫びを吐露するように、映画ファン向けのネタをいい感じにぶっこんできて、現実には存在しない俳優・作品が登場しても、その源を想像する楽しみもある。ハリウッドで生活する、トップから底辺までの人々の格差社会も、いい味付けに。
精神を病んでいるのか? 年齢やセクシュアリティは? あらゆる要素を曖昧に落とし込むのは、60代半ばのトラボルタの異様な「若さ」のせいか。キモすぎる行為も、どこかピュアに見えるから不思議。