リル・バック　ストリートから世界へ (2019)：映画短評

　ストリートダンスとバレエを融合した世界的なダンサー、リル・バックのルーツと素顔に迫るドキュメンタリー。彼の故郷メンフィスは黒人貧困層が多く、彼もそのひとりだった。貧しい黒人の若者にとってダンスとは、過酷な日常で感じる怒りや哀しみを吐き出す表現手段であり、犯罪の世界から距離を置くための生き方であり、才能ある者には貧困から抜け出すためのチャンスともなり得る。そんな、100年前のビル・ロビンソンやジョセフィン・ベイカーの時代から変わらぬ黒人たちの厳しい現実を踏まえつつ、次の世代に希望を繋いでいくリル・バックの才能と努力に、個人の成功というものの社会的な意義を考えさせられる。

ジューキングを知らなかったが、リル・バックの踊りを見て、「タイトロープ」のダンサーとピンと来た。人並外れて柔軟な足首を生かした独特のステップは、非常に軽やかで、重力を感じさせない！　一度見たら絶対に忘れないダンスだ。今やバレエ界でも才能を認められているリル・バックの半生を辿りながら、ダンス愛とたゆまぬ挑戦で人生を切り開いた青年の情熱に感心しきり。バレエを学んでジューキングを進化させた件など、カッコ良すぎてため息が出た。ナレーターを本人が務めていて、彼自身の思いとして素直に受け取れるのもいい。リル・バックを知らずとも、ストリートから飛び立った華麗な黒鳥に圧倒されるはず。

斬新なスタイルをみせるダンサーがいて、とりあえずYouTubeを調べれば、どんな動きかは確認できる。しかし、そのダンスの本質的輝きを浴び、感動するには、このような映画作品が必要だと実感できる。
ジューキンというストリート系の超絶技巧に、クラシックバレエの基礎やポワント（爪先立ち）を身につけ、取り入れたリル・バックの「白鳥」は、音楽自体が肉体に憑依したような未体験レベルの振付もさることながら、踊る場所によってアピールするものが変わる。アート作品と背景の関係で心を揺さぶるのも、天才のなせる業（わざ）か。
主人公以外にもダンサーたちが日常の風景の中で踊り出すシーンの数々は、ひたすらカッコいい。

“ブルースの故郷”のイメージが強いテネシー州メンフィスだが、L.A.サウスセントラル同様、ここまで犯罪と隣り合わせな土地だったことに驚き。さらに、主人公のリル・バックが爪先を多用したストリートダンス“ジューキン”を突き詰めるため、バレエの世界に入った動機にも驚き。それだけ、彼が何のためらいもなく、ダンスに没頭する姿は美しく、ヨーヨー・マとのセッションによるジャンルを超えた競演は最大の見せ場だ。成功を手にした彼の母親のインタビューも胸に刺さるものがあるが、ドキュメンタリー映画としては、いろいろと説明不足なところもあり、テーマが似ている『行き止まりの世界に生まれて』にはかなわない。

「俺を触媒にストリートとクラシックが化学反応を起こした」――そう語るリル・バックの成功への軌跡。失われた聖地クリスタル・パレスを中心に地元メンフィス時代を回顧する前半30分は『RIZE』（05年）を想い出させた。あのL.A.サウスセントラルと同じく、「踊るか、ギャングになるか」という過酷な環境から生まれたダンスのスタイル。

メンフィス・ジューキンというローカル文化の洗礼を受けた少年は、ヨーヨー・マ＆スパイク・ジョーンズの『白鳥』動画など、様々なセレブとの出会いが乗っかり「ハイブランド化」していく。これはかつてほど語られなくなった、健全なアメリカン・ドリームの可能性の物語でもあるのだろう。