林檎とポラロイド (2020):映画短評
林檎とポラロイド (2020)ライター2人の平均評価: 4
静けさの中に切なさと優しさをたたえた不条理劇
原因不明の記憶喪失が蔓延する世界。身分証を持たないまま保護された男性は、家族による捜索願も出ていないことから行く当てがなく、病院の主催する自立支援プログラムに参加する。そんな彼の日常を淡々と映し出していくわけだが、その過程で「彼は本当に記憶を失ったのか」「むしろ忘れたい過去があるのではないか」との疑問が次々と沸きあがってくるところがポイント。ただし、ハッキリとした答えは提示されず、観客の想像に委ねられる。その不条理な設定は同じギリシャ出身のヨルゴス・ランティモスを彷彿とさせるが、しかし独特の哀切を湛えたクリストス・ニコウ監督の世界には穏やかな優しさが滲み出る。妙に愛おしくなる映画だ。
記憶をなくすことは、悲しみを忘れられる喜びか……珠玉の一編
多くの人が突然、記憶をなくしてしまう。それが日常となった、ある意味、シュールな世界だが、静かに淡々と進むドラマのリズムに身を任せてしまう感覚。記憶を取り戻すのではなく、新たな人生に踏み出すという、主人公が取り組むプログラムは斬新ながら、アナログ的でユニーク。
中盤のある出会いによって、そのプログラムへの揺らぎが生じ、人間と記憶の関係を切なく訴える作品のテーマが一気に立ち現れる。その表現があまりに繊細で驚かされた。エッジの効いた設定が温かみを帯びる心地よさと、人間のやるせなさに耽溺。
冒頭に流れる「スカボロー・フェア」の歌詞は、結末を知った後に心に染み入り、そうした隠し味に監督のセンスを感じる。