ケイコ 目を澄ませて (2022):映画短評
ケイコ 目を澄ませて (2022)ライター4人の平均評価: 3.3
ヒロインの孤独や迷いを浮き彫りにする映像と音
生まれつき音のない世界で生きる聴覚障碍者の女性プロボクサー。自らの生き方に迷いや限界を感じ始めた矢先、所属するボクシングジムが閉鎖されることとなってしまう。主人公が天才や超人などではなく、耳が聞こえないこと以外は平凡な女性という点が本作のキモ。好きなことを一途に追求してきた不器用な人間が、果たして本当にこれでいいのだろうか?という人生の岐路に立った時の迷いや葛藤が丹念に描かれる。16ミリフィルムのざらついた映像で捉えた日常の空気感、劇伴の代わりとして使われるリズミカルな生活音が、ヒロインの孤独な内面を際立たせて印象的。3ヶ月のトレーニングを積んだという岸井ゆきのの佇まいにも説得力がある。
この町には多くのこういう物語が溢れている
生まれつき両耳が聞こえない若い女性が、ボクシングに没頭する。周囲にいるのは、彼女の意思を尊重する理解ある人たちばかり。そういういい話なのだが、観客を泣かせようとする演出がまったく無いのでクサくない。
映画音楽を使わないので、感情が大きく動く場面でも急に音楽が流れたりしない。普段から寡黙な主人公だけではなく、他の人々も、自分が思っていることを言葉で語ったりしない。しかし、行動を見ていると彼らが何を思っているのかが分かる。
そんな彼らが暮らす町のさまざまな時刻の風景が、ふと画面に広がる。そしてそのたびに、ここには他にも多くの人々のこうした物語が溢れていることを感じさせてくれる。
後々ボディブローのように効いてくる
16mmフィルムのザラついた質感と何気ない生活音から醸し出される、圧倒的なリアリティ。ボクシング映画では当たり前のように流れる劇伴はなく、ろう者同士が会話するシーンではあえてテロップを入れないなど、毎作違ったジャンルに挑む三宅唱監督の作家性を強く感じる。不器用でひたむきなケイコを演じる天才肌な岸井ゆきのと、今やどこか変わった指導者を演じさせれば右に出る者がいない三浦友和演じるジム会長の掛け合いも素晴しく、観客はそんなケイコと彼女を取り巻く人間が送る日常を見守っていくことに。どこかモノ足りなさがあるものの、それがタイトル同様、後々ボディブローのように効いてくるのも興味深い。
「聴者」に配慮せず、わからない事は、わからないままでいい潔さ
岸井ゆきのが眼力(まさにタイトルどおり)と研ぎ澄まされた肉体の動きで、観ているこちらを集中させる。彼女が出ているパートは、明らかに俳優で魅せる作品。心身共に弱る感覚を静かに表現する三浦友和も円熟の境地。
登場人物たちの手話での会話は、字幕で内容が伝えられるのが通常の作品。しかしあるシーンではあえてそれを避け、手話ができない観客は一瞬、蚊帳の外に。安直だった価値観が揺らぎ、そこに作り手の思いが込められたのは明らか。聴こえない日常の描写も、じつに細やか。
ボクシング映画によくある血湧き肉躍るカタルシスは控え目な印象。無音の状態を少しでも体感させるべく劇伴を使わないのも、ここまで徹底されると感心。