それでも私は生きていく (2022):映画短評
それでも私は生きていく (2022)ライター4人の平均評価: 3.8
喜びも悲しみも両方ある、それが人生というもの
夫と死別して幼い娘を育てるシングルマザーが、病気で記憶力と視力を失いつつある父親の世話と、突然訪れた新しい恋愛との狭間で心をかき乱されていく。ドキュメンタリー・タッチで淡々と映し出されるヒロインの日常生活。そこから静かに浮かび上がるのは、大切な家族が苦しんでいる時に、果たして自分が幸せになっていいものだろうか?という問いだ。離婚した両親にそれぞれ別のパートナーがいて、しかしそれでも元夫婦の関係も親子の関係も形を変えて当たり前に続くという、フランスならではの自由な家族観も非常に興味深い。どこにでもいるごく普通の女性を演じるレア・セドゥがまた非常に魅力的だ。
“ミア・ハンセン=ラヴ:ユニバース”の醍醐味
作品組成はラヴ監督の母親をモデルとし、イザベル・ユペールに当て書きした『未来よ こんにちは』に近いかもしれない。今回はラヴ自身の体験を基にしたシングルマザー像をレア・セドゥが体現。両者(母娘)の生き方の類似など、監督の私生活が着想源となるフィルモグラフィの連続性の妙味が興味深い。
今作はラヴの中で最も王道系とも言え、オゾンの『すべてうまくいきますように』も連想するが、あくまで独自の幸福に向かう。老いた父親の蔵書を片づけるシーンが印象的だが、シュヴァルツェンバッハの書簡や独の無声映画『ニーナ・ペトロヴナ』といった劇中提示される教養に対し、『アナ雪2』等を観に行く8歳の娘の世代的な段差も面白い。
感情、会話、状況、ディテール、すべてがリアル
とくに大きなことが起きるわけではなくひとりの女性の日常を静かに追っていくだけなのだが、感情、会話、ディテール、すべてがリアルで引き込まれ続ける。ミア・ハンセン=ラヴ監督は神経変性の病を患った父のケアをした経験があり、それがこの物語のインスピレーションになったとか。父の世話、子育て、家族とのやりとりで身をすり減らし、自分は二の次の人生を送る彼女の前に突然現れたロマンス。それは喜びと刺激を与えてくれるが、そこから生まれる悲しみ、混乱もある。どうするべきなのかわからない、正しくないこともしてしまう。そんなとっちらかった状況、心理はいかにも人間らしい。揺れ動く心を繊細に表現するセドゥに大拍手。
それでも天気のいい朝をたっぷり味わう
原題は「ある天気のいい朝」だが、たしかにこの邦題はドラマの内容をストレートに表している。レア・セドゥ演じる主人公は、シングルマザーで、仕事もあり、認知症が兆してきた父親に対応しつつ、友人だった人物との不倫も始まる。どれか一つでも映画が1本出来そうな事態がすべて同時進行して、現実がそのようなものだということを再認識させる。主人公はそんな日々の中でも、天気のいい朝には、日光を浴びて一息つく。
監督は『ベルイマン島にて』でも単純ではない人間心理を描いたミア・ハンセン=ラヴ。撮影は『EDEN/エデン』以来この監督と組んできたドゥニ・ルノワール。今回も、大気は明るく澄んでいる。