熊は、いない (2022):映画短評
熊は、いない (2022)ライター2人の平均評価: 4.5
映画作りを禁じられた監督を理不尽な受難が襲うメタフィクション
映画製作を政府から禁じられながらもゲリラ的に撮り続け、映画愛とある種の楽天性を持っていたJ.パナヒだが…ここまで絶望感に苛まれ、切羽詰まった息苦しさに覆われた映画は初めてではないか。彼は新作をライヴストリーミングで演出指示しているのだけれど、辺境にある借家はドイツ表現主義のセットのように窓も柱も壁も不安定に傾いていて、精神面でも不安定さがありあり。しかもその村はトルコ国境にあって、あと一歩踏み出せば密出国できるのだ。しかしそこに立つや彼は恐れるように引き下がる。あくまで国内で闘い続けるつもりなのだろうか。ところで本作、「熊」は一切出てこない。その真意はラストのパナヒの表情に痛いほど現れている。
タイトルの意味すること
政府から映画製作と出国を禁止されながらも極秘で撮影を続けるパナヒ。そんな彼自身が演じる、都会から引っ越してきた映画監督が小さな村で体験することを描くストーリーは、一見シンプルでのんびりした雰囲気ながら、層がある。後半は暗さが増していき、静かに、そしてますます問題提起がされていくのだ。イランに住む普通の人々を取り囲む伝統や迷信の縛り、抑圧、経済的な状況。そして、タイトルが意味すること。映画の前半に出てくる、監督が国境の向こうに越えられるチャンスを得たのにあえてそうしないシーンは、パナヒ自身ととりわけ重なり、興味深い。パナヒの不屈の精神とアーティスト魂を感じさせる優れた作品。