ザ・キラー (2023):映画短評
ザ・キラー (2023)ライター5人の平均評価: 4.4
どこか自己言及的なD・フィンチャーの「お仕事」映画
『Mank』に続くNetflix配信映画で画面サイズはシネスコに当たる2.35:1。ザ・スミスばかり聴いている殺し屋(M・ファスベンダー)がパリで標的を狙う序盤は『サムライ』を彷彿させ、全体的にも「デジタル仕様のJ・P=メルヴィル」といった趣。ただ完璧な無双の人ならぬ、ニアミス有な秀才型(85点タイプ?)のプロという絶妙さが面白い。
極めて趣味的な映画でもあり、いまハリウッドの劇場映画でこの企画を成立させるのは困難だろう。饒舌な心の声(モノローグ/ナレーション)に「適者生存」との言葉も交じるが、新しいシステムの中でシネマティックな趣向の実現を最もクールにこなしているのがフィンチャーと言える。
殺し屋の“内省”を冷徹に観察
プロの殺し屋の立ち回りを、D・フィンチャーが観察者の冷徹な視点で描く。そこに殺し屋への共感がないのがミソ。
暗殺者哲学を含め、成功率100%の秘訣を延々と語るオープニングの主人公の独白から一転、たった一度のミスで物語は動き出し、プロフェッショナルと思われた殺し屋の本質が暴かれていく。ティルダ・スウィントンふんする同業者が話す寓話が興味深い。
主人公の内省にスポットを当てているのは、彼が愛聴するザ・スミスの楽曲からも明らか。モノローグとヒンヤリした映像の質感のハードボイルドな雰囲気に引き込まれ、一気に見てしまった。力作。
よくある設定を独自の優れた形で見せるのはさすが
さすがはデビッド・フィンチャー。殺し屋、復讐劇という、ありきたりになりがちなテーマを独自の、優れた形で見せる。何も起こらない中、主人公の殺し屋がナレーションで仕事への姿勢と主義を自分に語る抑制がきいたオープニングシーンで、まず引き込む。そこへ突然、思いもしない出来事が起きてからは、次々にドラマチックなことが展開していくのだ。後半の激しいファイトシーンは、非常にリアルで生々しく、映画っぽさがない。エンディングも意外。ほとんどしゃべらず、ミステリアスでストイックなオーラをたたえるファスベンダーの存在感もすごい。トレント・レズナーとアッティカス・ロスの音楽も、緊張感を高める。
フィンチャーのスリラーに飢えていた
ドラマ制作に活動の重きを置いていたりして、映画自体が寡作気味であったこともあって、かつては代名詞的なジャンルだったスリラーについては約10年ぶりのフィンチャー監督最新作。何と言っても脚本にアンドリュー・ケヴィン・ウォーカーがちゃんとクレジットされる形で参加していることが嬉しい一本。作品の幅を一作ごとに拡げているフィンチャー監督ですが、やはり”フィンチャーのスリラー”に飢えていた部分があって、そんな中で本作はその飢えを埋めてくれる一本でした。主演にマイケル・ファスベンダーというチョイスも良かったです。
殺される喜びでさえ陶酔させる、異様レベルの怪作
D・フィンチャーの強烈さと洗練が究極の高みで合体した印象。予想どおりのカッコよすぎるオープニングに囚われ、短いカットのみで表現される急展開、その逆に待つ時間、ポイントのアクションはじっくり魅せられ、その緩急は快感ですらある。
主人公は失敗をしないキラー=殺し屋で、仕事に対する変態レベルのきめ細かさに唸りつつ、完璧を求めすぎる強迫観念によって運命が面白くなる流れは、この手の作品としては異例。ファスベンダーの表情を崩さない“圧”によって、殺される側の覚悟もエクスタシーの高みへ到達する。
ダークな時間に作品の喜びが充満し、光と影のコントラストも含め、集中できる暗い空間での鑑賞を強く勧めたい。