瞳をとじて (2023):映画短評
瞳をとじて (2023)ライター2人の平均評価: 4
3つの異なる"時間"が重なり合う
未完成の映画のフィルムに焼き付けられている時間。主人公の記憶の中に存在する時間。テレビによって映し出される時間。3つの性質の違う"時間"が、手触りの異なる映像で映し出され、波のように押し寄せては、重なり、消えていく。
映画監督だった男が、自分の監督作の撮影中に失踪した、親友でもある俳優のその後を追跡して旅をする。するとその旅は、自分の過去と向き合う旅になっていく。旅の過程で、さまざまな時間があること、時間が経つということにも直面することになる。この監督の『ミツバチのささやき』で少女アナを演じた女優が、本作でもアナという名の人物を演じ、時間の経過を際立たせる。
メタシネマの最高峰
同世代者である宮崎駿の『君たちはどう生きるか』ではないが、まさにビクトル・エリセの集大成となった31年ぶりの長編。監督の自画像と言うしかない元映画監督のミゲル(政治の季節にフランコと闘った世代)の小さな深い旅。ミステリータッチのゆるやかな叙述による「記憶」と「映画」と「人生」の三題噺だが、思索は他の誰も足を踏み入れていない奥底にまで降りていく。
パラパラ写真の玩具で提示される『列車の到着』。フィルムで撮られた劇中未完映画を巡る、デジタル撮影の現在パート。「映画の死(と生)」との主題を巡り、全てが示唆的。アナ・トレントも客席にいる最後の上映会は『ミツバチのささやき』の始まりに呼応するものだ。