ミッシング (2024):映画短評
ミッシング (2024)ライター6人の平均評価: 4.5
「吉田恵輔映画」の変奏にして、最強慈愛バージョン!
「幼子の突然の失踪」というのはよくある、映画的な設定だ。が、吉田恵輔監督の手にかかるとそれは、他人事/余所事では終わらない。石原さとみ、青木崇高、森優作、中村倫也が高レヴェルで体現した母親、夫、弟、地元テレビ局の記者らが織りなす「吉田恵輔映画」の変奏――人間関係の推移と、各々の距離感の変化がまたも肺腑を衝いてくる。
石原のことを吉田監督は“野生動物”と喩えていたが、役者としての習性が今回、(好みは分かれるが)一段と開放された。この冷笑の時代。我々はどうサバイブすべきなのか。映画が見せる微かな光明、その“光”は、自分事だけで精一杯だった母親の視野が少し広がった瞬間、初めて捉えられるのだ。
夫婦愛の極北にも、陽が差すときはある
ミステリーではない。が、それでも並々ならぬ緊張感に見入ってしまう。
本作の磁場となるのは子どもを失った母親の歪んでいく胸の内。周囲の好奇の目にさらされ、SNSの悪意ある書き込みに圧迫され、狂気スレスレの感情へといたる過程は密にして凄まじい。石原さとみの怪演は目を見張るばかりだ。
それでも晴れ間がかすかに覗くのが吉田作品の妙。個人的な視点となるが、父親目線で見たとき、狂妻に振り回され、キレそうになりながらも必死に持ちこたえる夫の踏ん張りに救われる。青木崇高、こちらも好演。
“観る人を選ぶ”吉田作品のひとつの到達点
苦楽を共にした脚本家・仁志原了を失った吉田恵輔監督の虚無感が生み出した『空白』から派生した一本といえるが、主人公が父親から母親になり、それを演じるのが、産後のタイミングで撮影に参加した石原さとみということで、“観る人を選ぶ”吉田作品において、もっとも万人受けする作品に! 石原の“こわれゆく”芝居は『スリー・ビルボード』のフランシス・マクドーマンド、『最愛の子』のヴィッキー・チャオに匹敵し、マスコミ側など相変わらず脇の固め方が完璧。もはや巨匠の貫禄すら感じるが、『神は見返りを求める』のキャラが登場する遊び心やカメラマン役の細川岳が放つ意地悪な一言といったブレなさに感服。
感情の天秤
突然、娘が失踪した夫婦とそれに関わる人々の物語。もともとは『空白』からアイデアを派生させたものとのことですが、結果としては別物に仕上がりました。これまでどちらかというと役柄に乗っかてきた印象のあった石原さとみですが、今回は役柄に没入する感じで、とても新鮮であり、さらに彼女の実力を再認識するものでした。中村倫也演じるマスコミ側の視点が入っていて映画が多角的、立体的になった感があります。終盤にそれまでの感情のバランスをガラッと変えるシーンあります。それまで一方通行気味だった感情の天秤が逆転した巧い演出でした。
王道にぶっ刺さる強度と風格
全身全霊の石原さとみが獰猛な「攻め」の芝居で真ん中に立ち、中村倫也、青木崇高、森優作など様々な形の「受け」が繊細に光る。役者陣の素晴らしさが何より際立つ吉田恵輔監督の新作は、『空白』を引き継ぐパノラマ的な群像劇でありつつ、要所の抑制が抜群に効いたヒューマンドラマの名作に仕上がった。
我が子が失踪した母親の話という点ではイーストウッドの『チェンジリング』を連想しつつ、より真正面勝負。「宙吊りの地獄」を真摯に生き続け、さらにメディア風刺を本格的に絡める(それはどこか『空白』と同年公開の『由宇子の天秤』へのアンサーにも思える)。吉田イズムのコアと新規の要素が融合された達成度の高さに今回も感嘆!
娘が失踪という本筋を囲い込むように、いくつもの暗部が噴出する
幼い娘の行方不明事件を軸に起きながら、その周辺の様々な出来事が鋭利なナイフのように、こちらの心に突き刺さってくる。メディアの報道姿勢、性被害、カスタマーハラスメント、他人への無関心…など現代ならではの社会問題をこれでもか、これでもかと絡めてくるあたり、吉田恵輔監督は前作『空白』のスタンスを受け継いでいる。そのせいで、やや本筋のサスペンスや感動部分が散漫になった感じもあるが、監督の問題提起の姿勢には賛同。
石原さとみがこれまでのイメージを覆す熱演に挑んでいるが、そこは想定内。むしろ中村倫也、青木崇高こそ、計算したうえでボーダーを超えるという演技テクニックの最高レベルの見本を示し、絶賛されるべき。