Here (2023):映画短評
Here (2023)ライター2人の平均評価: 4.5
高次の「環境」を生成する現代アート的な映像×音響空間
ベルギーからバス・ドゥヴォス(83年生)の監督作が2本日本上陸。清掃業の女性がブリュッセルの都市空間を彷徨う2019年の第3作『ゴースト・トロピック』がアケルマンの系譜にあるとしたら、樹々の映像から始まる第4作『Here』は瞑想的なトーンの吸引力が極めて高く、アピチャッポンにも近いスローシネマが実現されていることに驚く。
蘭語、仏語、ルーマニア語、中国語が行き交う欧州社会の縮図的要素はダルデンヌ兄弟やムンジウに通じるが、作品組成や世界に注ぐ視線の在り方は全く異質のアプローチだ。監督と続けて組むG・ヴァンデケルクホフの音楽の力は大きく、特に『Here』のサウンドスケープは最高に洗練されている。
緑に見入る静かな時間が、身体をときほぐす
さまざまな植物が、たっぷり映し出される。町のすぐ近くにある草地や、林のような場所で、緑がいつも明るい。そこに降り注ぐ光、降る雨。音楽はほとんどなく、そこで聞こえる鳥の声や、植物を揺らす風の音が聞こえる。ごくたまに生ギターの音がする。
ブリュッセル。ルーマニアから出稼ぎに来ている建設業者の青年が、中華飲食店で、その街で生きるアジア系女性に出会う。彼女は苔類の研究者で、青年に「苔に注目する人は少ないが、苔はひとつの小さな宇宙だ」と言う。すると、青年の目の前に今まで気づかなかった新たな世界がひらけていく。青年と一緒に緑に触れ、緑に見入りながら過ごす静かな時間が、身体をときほぐしてくれる。