名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN:映画短評
名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN
ライター7人の平均評価: 4.1
電化マイルスならぬ、電化するボブ・ディランの軌跡
電化マイルスならぬ、電化するボブ・ディランの軌跡。初期ディランがピート・シーガーの家に泊まり、朝、起き抜けにギターを掴んで曲を作るところに「いい出だしじゃん」とか何とか声をかけるピートの子供を観て、何だか胸が高まった。この呼吸。この空気の臨場。このカッティングのリズムが全てに行き届き、音楽映画的で全篇ツボったのだ。
ディランのことは、その唸りの強さ、太さでもって“浪曲師”と呼びたくなる。当時、人々の心をしゃにむに打った「唸る言葉」の真っ直ぐさと豊饒さを追体験した。すなわち何度も、時代の変わる瞬間へとタイムトラベルできるのだ。劇中、提示される映画『情熱の航路』(42)の含意も効いている!
ディランが憑依したようなシャラメの芝居と歌声に酔う
尊敬するウディ・ガスリーに会うためニューヨークまでヒッチハイクしてきた名もなき若者が、紆余曲折と試行錯誤の末に唯一無二のシンガーソングライター、ボブ・ディランへと成長していく。あくまでもキャリア最初の5年間に的を絞ることで、ディランの芸術家としての本質に迫ろうとした作品。自身の音楽をカテゴライズすることもされることも拒み、既存のフォークという枠にとらわれず貪欲に吸収していくその姿勢に共感する人も多かろう。とはいえ、やはり最大の見どころは主演のティモシー・シャラメ。それこそディランが憑依したかのような芝居とパフォーマンスに思わず舌を巻く。
もうひとつの、“まっすぐ歩く”
ボブ・ディランの伝記ドラマではあるが、描かれるのは1961~65年の4年間。急激にフォークのカリスマとなり、周囲の狂騒に違和感を抱く若き彼の物語だ。
『ノー・ディレクション・ホーム』などのドキュメンタリーで描かれていることが本作のクライマックス。夢や失恋、成功と喪失といった青春劇の要素を含みつつ、つねにアーティストであろうとする姿勢の確立にフォーカスする。
マンゴールド監督にとって『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』に次ぐミュージシャンの伝記劇。その主人公ジョニー・キャッシュも登場し、ディランに啓示をあたえる。本作もまた、迷える者を“まっすぐ歩く”ことへ導く美しい物語だ。
あの時代の空気が生々しく伝わってくる
実在する人物のある時期を写実的に描く映画でありつつ、それが象徴するある時代の空気を、きっとそうだったに違いないと思わせる生々しさで描き出す。その時、起きていた状況はTVやラジオを通しても描かれる。その時代には、誰もが何かを変えたいと思い、それができると思って行動していた。その時代の息吹が伝わってきて、翻って、現在を満たしている空気を照らし出す。
登場する何人ものミュージシャンたちが、それぞれに自分の歌を歌う姿が、歌詞の字幕と共にたっぷりとした長さで描かれて、曲自体の力で胸を打つ。同時に、その時代に"音楽"がどのようなものであり、どんな力を持っていたのかも伝わってくる。
神話の人の映画化
ボブ・ディランは特にアメリカではもはや行ける伝説を通り越して生ける神話の人と言っても過言ではないだろう。そんなボブ・ディランが”ボブ・ディランになる瞬間”を切り取った一本。ボブ・ディランを描くにはいろいろな手法があると思うが、”エレキギター迄”を描くというのはある意味正解と言える。そして何と言ってもティモシー・シャラメである。誰がどう演じても文句が出るとしか思えない難役を見事に演じ切った。若きカリスマ俳優は新たな代表作を得たと言えるでしょう。共演陣も見事な演技を見せている、見応えたっぷりな音楽劇。
しっかり『インディ5』の汚名返上!
『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』でもジョニー・キャッシュを描いていたジェームズ・マンゴールド監督。それが次世代の“吟遊詩人”ボブ・ディランに代わってもやってくれると思ったが、しっかり『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』の汚名返上! 名もなき者だったフォークシンガーがNYで成功し、原作タイトル「Dylan Goes Electric!」通り、1965年のニューポート・フォーク・フェスで暴走するまでを、ひと皮剥けたティモシー・シャラメのなりきり演技と心地良いリズムで描写。ジョーン・バエズ姐さんや初音映莉子演じるピート・シーガーの妻など、女性キャラの存在感も魅力的だ。
青春ムービーの愛おしいたたずまい
カリスマミュージシャンの映画は、トップの地位に立つ劇的な瞬間を描くのが常套だが、本作はちょっと違ったアプローチ。一人の青年が自身の音楽と向き合い、その年齢ならではの恋愛関係に身を任せ、内面的な変化と向き合う…とシンプルな「青春映画」の様相。映画全体、音楽が奏でられるような心地よい流れで演出され、飽きさせない。
もちろんボブ・ディランの曲の魅力はたっぷり投入。それをティモシー・シャラメは自身の歌声で哀切に表現し、キャラクターとしても過去の作品とまったく違う演技でこなし、稀有な才能を再認識させる。
後に伝説となる人物の「原点」を体感する意味で理想型。やや長尺も、観終わった後の清々しさ、この上ない。