パシフィック・リム (2012):映画短評
パシフィック・リム (2012)ライター7人の平均評価: 4
デル・トロ監督の特撮映画愛はエンドロールで完結する
ゴジラ映画が『ゴジラ FINAL WARS』(04)で終焉を迎えた時、誰がこんな展開を予想しただろう。その精神は海を超え、メキシコ人監督の手によって受け継がれるとは! 製作費200億円の大金をかけながら、怪獣VS.巨大ロボットの闘いは、かつて東宝砧撮影所にあった特撮用プールで撮影したかのようなアナログ感、意味不明な看板もご愛嬌のミニチュアセットなど、オタク監督のこだわりにほくそ笑みつつ、溢れんばかりの特撮愛にむせび泣きした人も多いだろう。その愛の深さは、エンドロールの最後に付け加えられた言葉で完結している。だが劇場では、本編終了と共に席を立ってしまう人が多かった。しかと見届けることをオススメしたい。
それにしても最近は、あらゆる作品で地球規模の危機が勃発している。ただし同じテイストの映画でも日米の違いは顕著で、日本の場合は敵を前に悩み、闘う意味を自問する作品が主流だ。国民性によるものか。それとも戦争が身近にあるか?否か?の違いなのか。本作の選ばれし者たちは“恨“が怪獣に立ち向かう動機となり、そこに迷いはない。そういう意味でも本作は、日本生まれのハリウッド映画と言えるだろう。
「私、解ってます節」だけで構成された夢の132分
ギレルモ・デル・トロといえば、香港でスランプ状態にあったドニー・イェンを『ブレイド2』に起用した先見の明があるほか、『ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー』では、シシ神を連想させる森の神や巨神兵を連想させるジャイアント・ ドアウェイを登場させたジブリヲタでもある。しかも、同作では突然ロケットパンチを繰り出すなど、たびたび「私、解ってます節」を披露していたが、ついに132分間それだけで構成された究極のヲタ映画を作った。
必殺技を繰り出す前のパイロットの絶叫に、スローで魅せるバトルシーン、そして偏執的なまでの“カイジュウ”愛。そんな『トランスフォーマー』になかった描写だけではない。昨今の大作のようにシリーズ化を狙った空気はなく、「一作でやり尽す!」という潔さも心地よい。その気合いが悪い意味で、北米での興収に反映したが、その後、公開された日本のロボットアニメ文化が根付いている中華圏で、しっかり成績を残しているのは当然だろう。
「マジンガーZ」で印象的な青空の下でのバトルが再現されなかったことは悔やまれるが、『ロボジョックス』ごときで、胸ときめかせていた者にとって夢のような作品である。
怪獣映画というより血沸き肉躍るロボット映画
滅亡をもたらしかねない怪獣群を倒すために人類が巨大ロボットで対抗するという展開は、日本の特撮モノに見慣れた目には新鮮味はないが、絵的な興奮はそれを補って余りある。メカの起動、怪獣への一打・一撃、武器の発動などにイチイチ高揚するのは、コクピット内で同じような動きをするパイロット・コンビの動きがきっちり追われているから。メカニカルでありながらフィジカル。日本の特撮モノの良さは、まさにこういうものだったのではないか。
ともかく、40代男性のノスタルジーをくすぐるに十分な内容。ロボ・キャラの描き分けも含めて、ギレルモ・デル・トロ監督の和製ロボット・アクションへのストレートな愛情が反映されていて嬉しくなる。
欲を言えば、円谷プロの怪獣なみに全身ビジュアルをはっきり見せて欲しかった。夜の闇の中の“見せない”ことからくる恐怖は確かに効果的だが、よく見えないぶんキャラ的なインパクトに欠ける。せっかく“Kaiju”という呼び名をあたえたのだから、もっと見たかった……というのは欲張り過ぎか。
ロボットVS怪獣の大味バトルを素直に楽しんじゃおうって!
日本のロボットアニメと怪獣特撮映画に対するギレルモ・デル・トロ監督のオマージュが詰まった作品。自己犠牲を伴った悲壮感漂うヒロイズムなんか、なるほど、日本人スピリットがガッツリ注入されています。
とはいえ、そこはいかんせん外国人の感性をフィルターとして通しているわけだから、本家日本のコアなマニアからすれば邪道に思えてしまう点が少なからずあるのは仕方あるまい。それよりも、でっかいロボットとでっかい怪獣がドカーン!ズカーン!バカーン!と、あらゆるものを破壊し尽くしながら繰り広げるハチャメチャな大激突を素直に楽しむのが得策。
メインのロボットがロシアだ中国だと新興国が中心って完全にマーケティング的な理由ですよね?とか、菊地凛子の日本語が妙に不自然でたどたどしくありませんか?とか、細かいことは気にしない気にしない(笑)。少なくとも、今の日本映画界にはこれだけの超大作を撮る金も人材もないわけだしさ。これは正しき夏休み映画。テンションあげあげでスカッといきましょう。
それにしても、スチュアート・ゴードン監督は「ロボジョックス」でこういうことやりたかったんだろうなあ、本当は。そう考えるとちょい切ない。
むしろライディーン、ガンダム、エヴァ、そして進撃の巨人
ともあれ一定レベルは認めないと話が始まらないエポックな作品。全体の文脈としては『GODZILLA』などが失敗してきた日本製特撮(加えアニメやマンガ)文化を栄養としたハリウッド映画の成功例であり、作品組成には『ゴジラ』から『進撃の巨人』まで網羅的な影響が見える。ただし、そのぶん思い入れの強い日本のマニアの中には厳しい評価を下す向きがあるのも理解できる。
だが普通にロボットアニメで育ってきた観客なら、素直に楽しめるはず。「巨大ロボの中に人間が入る(搭乗する)」スタイルをハリウッドが採用したのは実際画期的だし(『トランスフォーマー』とはそこが決定的に違う)、パイロットの全身動作による操縦法は『勇者ライディーン』を想い出した。単純に『ガンダム』や『エヴァ』的なものを実写で観たい、という欲望はかなりの精度で叶えてくれる。日本の映画界が出来なかった水準のことを可能にしたのは、ハリウッド帝国ならではの強みに違いない。
リアルタイムでは賛否両論を呼びながら、結局はひとつの「基準値」として歴史的に定着していく映画の典型だろう。その意味では14年前の『マトリックス』に近いのかな、と思う。
日本が深化させてきたジャンルへの偏愛と曲解が生んだ空疎な大作
盛り上げに必死になっている人々を観ていると、NIKEを模したNICEの靴を掴まされた輩に思え、八つ裂き光輪で切り刻み、ブレストファイヤーで溶かしたくなる。擁護するか批判するか。これは踏絵だ。ジャンルへのほとばしる愛だけは分かった。だからこそデル・トロには言うべきことを言おう。巨大怪獣&巨大ロボット発祥の地で産湯を浸かった身としては、製作費200億円による物量主義で空疎な大作が誕生したことに目を覆うばかりだ。
終末的世界観や怪獣トラウマという引用は表層に過ぎず、消化しきれていない。怪獣の出自がアバウトすぎる。出現理由不明にした先達に学べ。フィギュアが欲しくなるキャラクターは一体も登場しない。無駄に広いコックピット内でルームランナーもどきの足扱き動作は大間抜け。豪勢な“ウルトラファイト”に欠けているもの、それは痛快さと深みだ。
ワーナー極東支社は、続編に樋口真嗣を起用するよう本国へ打診せよ! あるいはローカライズの権利を取得し、日本人キャストを増員して大特撮を追加した再編集輸出版『怪獣王vsロボット王 環太平洋最大の決戦』を撮ることで、本家の威信を示すべきだ!
巨大な物体をカッコよく見せる匠の技
スカイツリーなど巨大なものをカッコよく見せるときに広角レンズで撮るとやはり迫力があるが、デル・トロ監督カメラも匠の技で巨大兵器と巨大生命体をこれでもかというほどカッコよく撮って見せる。
どの角度の、どの部分から見たときに、このメカニックや生物は、一番カッコよく見えるのか……。ライティング、攻撃の時のタメ……日本の特撮やアニメのオタクとして、何がカッコイイのか、知り尽くしているデル・トロ監督にしか撮れない映像には、貴重な「匠の技」を見せていただいた……という清々しい気持になる。
デル・トロ監督と同じように日本の特撮、アニメオタクとして道を歩んできた人にとっては、理屈でなく心で共鳴するものがあることは確かだ。
また、これほど大規模なハリウッド映画で、菊地凛子が主役級の扱いになっていることに驚くが、登場人物の人間ドラマや葛藤には映像ほど、厚みはなく、そこに期待して観る映画ではない。