関心領域 (2023):映画短評
関心領域 (2023)ライター8人の平均評価: 4.6
この家族は無関心なのではなく、心を“馴致”させて生きている
“鬼畜の所業”のすぐ隣で平然と暮らせるこの家族は、“無関心”なのではない。作為的に心を馴致させ、合理性を貫いて生きているのだ。その思考は劇中、名前の出るナチスドイツ親衛隊隊員アドルフ・アイヒマンの言葉(別人説もあるが)のように、人の死を“統計”として扱うことと重なる。
ところで本作のパンチライン、収容所所長ヘスの突然の嘔吐は現代からの批判的視座によるものだろうが、愚直な連想でJ=P・サルトル先生のことを思い出した。ナチス支配下の母国フランスでレジスタンスに身を投じた彼の「実存的不安」という考えが、ヘスを襲ったと見る。つまり、ヘスに対抗する投企、世界へのコミットの仕方こそが重要だということ!
関心は、目の前の家族よりも、塀の外へ
『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』以来10年ぶりのJ・グレイザー監督の新作だが、映像と音が結びついた不穏な世界は健在。
一見すると幸福な家庭。しかし家長はナチ高官で、広い屋敷の隣にはアウシュビッツ収容所がたたずむ。観客が目にするのは、この家族の日常のみだが、見張り塔や立ち上る煙など屋敷の向こうにどうしても意識が行くのは本作の凄み。
『アンダー~』と同様の静かな重低音や、ロングショットの多様など、観る者の脳を侵食するようなつくりは今回も圧倒的。ある意味ホラーな緊張感が最後まで持続する。凄い!
今日も世界は平和、ではない
最初はコンセプトの卓越に気を取られたが、繰り返し観ると細部が凄い。完璧な設計の風刺画だ。アウシュヴィッツ強制収容所の所長ルドルフ・フェルディナント・ヘスの、むしろ妻に力点を置いたホームドラマは、ハンナ・アーレントの言う「凡庸な悪」の純度を極点まで高めたモデルケースとして我々観客をこそ撃つ。
歴史的距離感を潰し、過去の史実として完結・限定させる事を拒否するクリアなデジタル映像で、ヘスファミリーの光景を「いま」と同質に捉える。グレイザー監督とは『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』でも組んだミカ・レヴィの音響もエグい。インスタレーション的な体感で喰らう人間の病理。レジスタンスの少女のパートも重要。
美しくも不穏で背筋の凍る映画
それは、プール付きの広い屋敷に暮らす仲睦まじい一家の幸福で満ち足りた生活風景。だが、やがて観客は彼らが悪名高きアウシュビッツ所長ルドルフ・ヘスとその家族であり、屋敷の塀の向こう側がユダヤ人強制収容所であることを知る。その姿は、どこにでもいる善良な人々。子供たちへありったけの愛情を注ぐ大人たちだが、しかしママ友らはユダヤ人から奪った贅沢品の話題で盛り上がり、夫らは書斎で大勢のユダヤ人を効率良く最終処理する方法を話し合う。当たり前のように。彼らの平和な日常を支える圧倒的な偽善と無関心、時として唐突に頭をもたげる心の闇、そして終始聞こえてくる収容所からの「音」。美しくも不穏で背筋の凍る映画だ。
音で語る。極端な演出法が強烈
音で物語を描く、極端な演出が強烈。画面には優雅な生活をする一家が映し出され、隣のアウシュビッツ収容所で起きている忌まわしい出来事はすべて"音"でのみ描かれる。その音は、一瞬も途切れることがない。人々は常に全身がフレームに入るような離れた位置から捉えられ、一度も顔がアップにならないのは、これがある特定の個人を描くものではなく、人間というものを俯瞰的に捉えたものだからだろう。その光景が、徹底的に端正で清潔な光に満ちた映像で映し出される。
そしてもちろん、見たくないものは見ず、聞きたくないものは聞かずに暮らす彼らの姿は、距離の差こそあれ、隣について同じ態度で生活する私たち自身の姿でもある。
描かないことで描き出すこと
これまたすごい映画が出てきたものです。本当にあることを全く描かないんです。なのに、ものすごく訴えかけてくる構造になっていて、驚かされました。へたなホラー映画よりはるかに恐怖感が伝わってきます。ジョナサン・クレイザー監督の異能ぶりが遺憾なく発揮されています。そして何と言っても本作の見どころ(=聴き所)が”音”。アカデミー賞の音響賞を受賞したのも納得です。できるだけ音の良い劇場でご覧ください。そしてこの邦題を決めたセンス最高です。
「自分さえ幸せならば良い」という人間の本質
壁の向こうはアウシュビッツ強制収容所。映画はそこで起きていることを見せることはせず、音で伝える。その音は1日中聞こえてくるのに、隣に住むナチ将校の妻はまるで気にせず、「またイタリアを旅行したい」と寝室で楽しそうに夫に話し、自慢の庭園で赤ちゃんに花の匂いを嗅がせる。人はいかに都合の悪いことから自分を切り離せるものなのか。照明を立てず、固定カメラで淡々と一家をとらえる独特な撮影のやり方は、彼らをひたすら冷静に、客観的に見つめさせる。重要なキャラクターである音響(この部門でもオスカーを受賞)を邪魔しないため 、音楽は映画の最初と最後のみ。その強烈な音楽も、今見たものを胸に押し付けてくる。大傑作。
「音」の効果がここまで衝撃的…という意味で劇場マスト
家族で湖で泳ぎ、母はガーデニング、子供たちは楽しく駆け回り、思春期の2人は家の裏でキスする。のどかで満ち足りた日常だが背後に妙な「ノイズ」がつねに響いている。映画を観ているわれわれは、その音が何かを理解しているが、ひたすら耳障りで、じわじわ神経を逆撫でしてくる感覚。そして時おり挿入されるモノクロシーンが、視覚と聴覚で異様な恐怖感を増幅する。
人物のアップは避け、あくまで「風景」のように記録される映像、その突き放したような演出が、作り物ではなく事実を目撃している錯覚をおぼえさせる。
現代につながる描写は今もどこかで続く悲劇と、われわれの関係を地続きにして、戦慄が止まらない。肉体が反応する必見作。