万引き家族 (2018):映画短評
万引き家族 (2018)ライター6人の平均評価: 4.8
日本が世界に誇れる大傑作
「誰も知らない」で母親に置き去りにされ社会の陰で生きる子供たちを描き、「そして父になる」で“本当の親子の絆とは”と問いかけた是枝裕和監督。その流れを受け継ぎつつ、フィルムメーカーとしてさらに成熟した彼が送り出したのが、この映画。日常的に万引きをする貧しい人々の話であることはタイトルからも明らかだが、今作が語ることはもっと広く、数多く、奥が深い。たとえば「生んだ母親と一緒にいるのが一番幸せなのか」など、今作が触れるのは国境を超えた事柄だ。今、世界で現実の人々が直面している問題を、センチメンタルになりすぎることなく、信ぴょう性たっぷりに投げかける、まさに世界に誇れる大傑作である。
公開前のアンチがまさに本作の正しさを証明している
社会から見捨てられた人々が疑似家族を形成し、肩を寄せ合って仲睦まじく暮らす。他者への優しさや思いやり、共感が失われ、自己責任という名の正論と不寛容、無関心によって弱者を冷たく切り捨てていく現代日本。確かに生きるためとはいえ万引き行為は許されないことだが、しかし果たして我々は彼らを責めることが出来るのだろうか?明日は我が身なのではないか?そこが問われる。
映画を見る前から「日本の恥を世界に晒すな」「犯罪を正当化するな」という声が噴出しているようだが、まさにそうした風潮こそが主人公たちの境遇を生み出した要因であり、本作が極めて正しく現代日本の風景を映し出していることの証だ。
目を背けていた、この国の犠牲者達の素顔を看破する、切ない寓話
ひとつ屋根の下、三世代6人が身を寄せ合い喜怒哀楽を共にする――自ら選んだ絆で繋がり秘密を共有し、支え合うその姿が、失われた豊かな家庭に重なりアイロニカル。生きるため家族のふりして泳ぐこの国のスイミー達。ささやかな年金、下りない労災、貧しさのワークシェア…根底にあるのは政治への強い怒り。万引きという最終手段は、弱者を切り捨てた社会への抵抗である。実の親に放擲された子への眼差し、淋しさを紛らわす風俗店の膝枕、夕立ちのなまめかしい発情そうめん、花火の上がらない空を見上げる夜…全てが切なく愛おしい。この寓話を観もせず“犯罪を肯定的に捉えた日本の恥”と断ずるリテラシーが劣化した声こそ、この国の恥部だ。
これまでの功績を称えてのパルムドール
『紀子の食卓』『転々』など、多く見られた“犯罪が結び付けた疑似家族モノ”としてみると、いろいろとモノ足りない。キャラ設定だけなら『at Home』の方が面白いのだ。是枝監督のこれまでの功績を称えてのパルムドール受賞といえるが、城桧吏が“第二の柳楽優弥”(個人的には北村匠海)と言われるのも納得で、妙にエロい松岡茉優が樹木希林に「童貞を殺すセーター」について説明するシーンなどは面白い。しかも、これだけ芸達者が揃えば、キッチリ芝居で魅せる保証付き。にしても、3年前のパルムドールが『ディーパンの闘い』だったことを考えると、その国の社会問題に絡め、疑似家族を描くのは正攻法だったのかもしれない。
真の意味でパワフル
傑作『フロリダ・プロジェクト』のショーン・ベイカー監督が来日した時、最も刺激を受けた一本に『誰も知らない』を挙げていた。今回はまるで再び彼から是枝監督にバトンが手渡されたかのような連動ぶり。やや判り易く貧困を可視化する方向に舵を切り、本当の家族とは何か?との問いを反転させ、既成の社会通念に囚われないチームの可能性を提示する試みだ。
初期(あるいは山崎裕の撮影による)是枝映画の端正さに比べると、芝居のアンサンブルは「ガサガサ」した生命力を伝えるもの。それを近藤龍人の驚異的なカメラが美に昇華する。監督はより大粒の、胸にガツッと直接響くものを志した。役者全員最高。雪景色は大島渚の『少年』を連想。
演技や美術、音楽と、全要素が巧みに重なりテーマを奏でる
穏やかだが、やや噛み合わない瞬間も散見する家族の会話、細野晴臣のスコアが唐突に短く流れるなど、前半からに妙な不協和音が感じられる。しかしその不安定感こそが作品のテーマを表現していることに気づき、戦慄する。表現がテーマにつながる、まさに「映画」らしい作品。押入れから風呂場に至る徹底的な「生活臭」の追求も、外の世界から隔絶された理想郷のささやかな幸福感と、やがて消えゆく危うさを表現することに成功した。
設定が最も近い『誰も知らない』をはじめ、過去の作品のエッセンスで、集大成との評価もわかるが、確実に新しい表現を模索する是枝監督の野心が満ちており、最高傑作はこの後、まだ待っている予感が漂う。