ハイゼ家 百年 (2019):映画短評
ハイゼ家 百年 (2019)ライター2人の平均評価: 4
家族の歴史から見えてくる個人と国家の関係性
T・ハイゼ監督が家族の間で交わされた手紙や日記などを使って100年に亘る家族の歴史を振り返る。軍靴の音が響くなかでドイツ人の祖父と混血婚をした祖母、生に貪欲な母親の恋、シュタージの監視対象となったハイゼ家、監督自身の自我の目覚めなどが時代順に語られる個人的記録にも思えるが、実は個人というものは国家に翻弄される存在と実感させられる。コラージュ的な映像とフラットな解説、場面の切り替えに挿入される意味深な風景映像は、観客に行間の意味を解き明かすように求めているかのよう。ハイゼ監督作はこれが初見だが、機会があれば他の作品も見てみたいと思わせる哲学的な作品だった。ただ、ちょっと長すぎ。
100年間を描く218分が想像力を刺激し続ける
1910年代のユダヤ人迫害の予兆から2000年代のネオナチの台頭まで、ドイツ100年間の歴史を描くが、その手法が独特。音声は、監督が自身の家に残る当時の親族の書簡を淡々と読み上げる声と、わずかな環境音のみ。画面には、古い写真や書類、どこかの風景の映像などが映し出されるが、それが何なのかはまったく説明されない。画面を見ながら、そこに見えているものと、そこに流れている音声が語るものには、何らかの関係があるに違いないと考えて、それが何なのかを想像し続けるしかない。しかしそのようにして読み取るものが、ものすごく生々しく鮮烈なのだ。映画を見る、ということはそういう行為でもある。それを痛感させてくれる。