そして父になる (2013):映画短評
そして父になる (2013)ライター3人の平均評価: 4.7
時代は変わる
最初は「ズルい」と警戒した。筆者も幼い息子を持つ身だが、「子供の取り違え事件」との題材だけで胸が張り裂けそうになるからだ。しかし実際に作品を観ると、これはあくまで出発点。物語上は、親子の絆は血か時間か――という問いが提示されるが、二者択一の答えを求める映画ではない。力点は不確定な“その先”に踏み出す勇気であり、大枠の主題は「時代は変わる」ってことだと思う。
是枝裕和監督にインタビューさせてもらった時、主人公の良多は「自分の嫌なところをうんと増幅」させた人物だと語ってくれた(「SWITCH」2013年10月号)。バブル体験を引きずった「右肩上がりの日本」を象徴する最後の世代のエリート。本作ではそんな彼を従来の尺度が通用しない世界(=新時代の混沌)に放り込み、価値観を一旦ゼロにして再構築させる荒療治を展開するのだ。
本作は『誰も知らない』や『歩いても 歩いても』のように端正ではなく、表現として荒い。しかしだからこそ生々しく身を切るようなガチの姿勢が伝わる。筆者は号泣した。先行きが不透明な日本社会、ロールモデルを喪失した我々は、新しい形の「大人」として成熟していかねばならないのだろう。
親が子を想い育てるだけでなく、子も親を想い親へと成長させる
子供を取り違えられた家族同士をめぐる物語ゆえ、もちろん両親の最終判断を問う方向へと向かう。この是枝映画もまた、子供たちの日常的な振る舞いに導かれるようにして、時間が静かに流れていく。ここには、いわゆる天才子役など居ない。ぎこちなくも自然で、やんちゃな子らの表情が、大人の身勝手さを揺さぶり、親子とは何かを問いかけるのだ。
病院から告知されたとき、すでに6歳になっていた。エリート然とした福山雅治×尾野真千子と、庶民的なリリー・フランキー×真木よう子の夫婦。対照的な環境に馴染んで育った、それぞれの子供。親子関係を決めるのは、生活時間の長さか、血縁か。最も利己的であり激しく葛藤する父・福山の視点が印象深い。但し饒舌な演技はなく、撮影を担当した写真家瀧本幹也のフィルム撮影が、ドキュメンタリー・タッチに情緒的な味わいを添えている。
間違えられた子供は、招かれざる他者なのか。他者と生きるのは難しいが、他者と過ごした時間の歓びとは偽りなのかという問いが深く重い。親が子を想い育てるだけではなく、子も親を想い親という存在へと成長させるのが家族であることを、改めて気付かせてくれる。
じんわりと心に染み入る一本
現代では珍しい子供の取り違え事件を題材に、社会的地位も生活環境も全く異なる対照的な2つの家族それぞれが困難に向き合う姿を通じ、親子の絆とは“血の繋がり”なのか、それとも“共に過ごした時間”なのかを問う。
まず、主演の福山雅治が見事なハマリ役だ。挫折を知らずに生きてきたエリートの無意識に出てしまう冷たさ、悪意のない残酷さというものを実に嫌味なく演じており、そんな彼が育ての子と血を分けた子のどちらかを選ぶという局面で己自身と対峙し、うろたえながらも父親としての責任と愛に目覚めていく姿を体現して抜群に巧い。某ドラマの印象が強すぎただけに、これは嬉しい驚きだ。対する、少々粗暴ながらも愛情あふれるもう一人の父親を演じるリリー・フランキー、その妻で大らかな肝っ玉母さんを演じる真木よう子など、とにかく役者陣が素晴らしい。
そして、日常生活のひとコマひとコマを丹念に積み重ね、両家族の交流と営みを根気よく見つめていく是枝監督の演出は、これまでにないほど温かで優しい。子役の使い方も相変わらず絶妙だし、なによりも決して子供をお涙頂戴のダシにしないところが潔い。じんわりと心に染み入る一本だ。