喰女-クイメ- (2014):映画短評
喰女-クイメ- (2014)ライター3人の平均評価: 4
作品構造的にも戸板返しをやってのけます。
さまざまな恐怖のスタイルを追求してきた三池だが、今回は古典演劇を現代的に読み替えた舞台演劇のその舞台裏、というメタフィクショナルな装い。映画化作品数あれど究極の傑作の座をいまだ譲らぬ中川信夫版に負けじとばかりのくっきりとした様式美と色彩に、えげつないにもホドがある戦慄シーン(柴咲コウ、よくやったな)や『オーメン』的なジャンル映画の記憶を誘うショットを織り込みつつ、「色悪」への「女の怨念」という肝要と、精神的な恐怖に生理的恐怖をがっちり組み合わせた原作の特殊性は、相当に屈折させながらもしっかり押さえている。三池ホラーとしては、あの『オーディション』以来のオソロシさではないかな。
情念の流れに気圧される、正しい怪談
物語が劇中劇にシンクロするのは目新しいアイデアではないが、それでも本作の吸引力は凄まじい。
劇中劇に登場する家紋の“まがたま”のように、簡単にはピッタリ一致しない恋愛関係。このような男女のピリピリした関係に観客を集中させる、巧妙な作り。最小限の表現、たとえば目線やちょっとした仕草だけで、“この男女はうまくいってない”という疑問を抱かせる、役者たちの好演も光る。
“まがたま”からはみ出した気持ちは怨恨と化し、やがて凄惨なかたちで噴出する。二つの舞台を行き来しながらも、物語は情念の流れからブレることはない。柴崎コウの怪演も凄まじい、正しい怪談である。
伊藤英明の怪演が光るサイコロジカルな恐怖譚
「四谷怪談」の舞台劇と出演俳優の私生活が奇妙にリンクしていき、やがて現実とも妄想ともつかぬ愛憎の惨劇が繰り広げられていく。
下手に大風呂敷を広げたりせず、サイコロジカルな恐怖譚としてシンプルにまとめた演出は賛否分かれるかもしれないが、個人的には正解だと思う。役者という職業の因果、芸能という世界の特異を巧みに絡めつつ、人間の根源的な色と欲の性(さが)を浮き彫りにする。その嫌らしさが三池監督らしい。
そして、最近いろんな意味で吹っ切れた感のある伊藤英明の怪演が白眉。この人、本当は2枚目役って肌に合わないのでは?そう思えてしまうほど生臭坊主がハマっているし、本人も楽しんでいるように感じられる。