ホドロフスキーのDUNE (2013):映画短評
ホドロフスキーのDUNE (2013)ライター3人の平均評価: 4.3
「規格外」とはこういうことだ。
’87年に催されたH.R.ギーガー展で実物大オブジェ「ハルコネンの椅子」を目の当たりにし「ああ、あの映画化企画は本当にあったんだ」と妄想を膨らませた僕にとっては、証言の端々に至るまでたまらない映画。とりわけ『2001年宇宙の旅』のD.トランブルを「魂の戦士ではない」と切り捨ててジャンキーだった若きD.オバノンに白羽の矢を立てたり、D.リンチの過去作を高く評価しながらも、彼が実際に映画にした『砂の惑星』を観に行っての感想なんてもう爆笑もの。そもそも今よりはずっと冒険的だった’70年代のハリウッドでさえ、20時間の超大作なんて許されるわけないじゃん!でもそれがホドロフスキーなんだよ!!
映画関係者にも是非見て欲しい傑作ドキュメンタリー
鬼才ホドロフスキーの伝説的な未完の大作「DUNE」の制作顛末を、本人および関係者の証言や資料によって解き明かしていく。
ダリやオーソン・ウェルズなどの異端児ばかり集めたキャスト、メビウスやギーガーなど未知数な天才を揃えたスタッフ、そして映画化不可能とされた厄介な原作。極めて困難な企画だったことがよく分かる。
その無謀な挑戦から伺えるのは、ホドロフスキーにとって映画作りがまさに“命を削る作業”であること。だからこそ、「DUNE」は頓挫しながらもその後の映画界に少なからぬ影響を与えたのだ。「地獄でなぜ悪い」に通じる狂気すら感じる。それにしても、アマンダ・リアのイルーラン姫は見たかった!
"魔力"といいたくなるようなパワーがここにある
ホドロフスキー監督とはいったいどんな人物なのか。彼が撮るはずだった「DUNE」はどんな映画なのか。この2つが一気に分かる。
だがそれ以上に思い知らされるのは、「DUNE」に関わった人間の全てを巻き込み彼らを変えてしまった、なにか"魔力"とでも言うしかないようなものの存在だ。
それは、人間の"何かを創り出したい"という欲望が反応しあったときに生じる、奇妙な力のように見える。そして、どうやらそれは強い感染力を持つ。
ホドロフスキーは「映画は完成しなかったが、それは問題ではない」言うが、これは負け惜しみではない。ものを創るとはどういうことなのか、彼がそれを実践してみせる。