きみはいい子 (2015):映画短評
きみはいい子 (2015)ライター2人の平均評価: 4.5
おばあちゃんの善意が街に伝播していく。
小樽らしき或る土地に起こる、幼い子供をめぐる3つの物語。いわばアルトマン的群像劇の手法で、それぞれが交わることはないけれど、ある時は対位法的に、ある時は互いに交響しあって、ひとつのクレッシェンドを形作っていく。その全体的な大きなうねりに、物語も、映像設計も(色彩のトーンと桜の花びら!)、音楽も(単音から豊饒なる「歓びの歌」へ!)すべてが寄与し、最終的にはこの街の過去・現在・未来を見通す物語となるのが美しい。その視覚的あらわれが、映画の軸となるおばあちゃん家の前の坂を絶妙なフレイミングで捉えるヨーロピアン・ヴィスタなのだ。そのサイズで尾野真千子を池脇千鶴が抱きしめるシーンの完璧ぷりったらない。
孤独や愛情、そしてハグの意味…現実を切り取る秀作
どこにでもある町のどこにでもある人の物語を成立させる、虚飾を配した素朴な作りに、まず引き込まれる。ここには私や、あなたの現実がある。
語られるのは老若男女の孤独な日常。それが癒されるのは、不器用な人間たちの集合体のなかで困難と言えよう。しかし誰かが一歩踏み出し、他人をハグすることで、状況が一変することもある。単純なことだが、これが意外とできていない現実。その重さと、一歩踏み出した後の希望のバランスが良い。
“愛されたい”という甘えを口にすることなく、呉美保監督は正面からこの現実を描き切る。こういう真摯な作品は評価されるべきだ。