野火 (2014):映画短評
野火 (2014)ライター4人の平均評価: 4.5
四半世紀経っても衰えないインディパワー
市川崑監督版(‘59年)がモノクロという理由だからか、モノクロのイメージも強い塚本晋也監督が、カラーで『野火』を撮ったことは興味深い。容赦ないほど衝撃的な戦闘シーンだけでなく、‘59年版では寸止めの末、回避されていた“猿の肉”の顛末も、原作通りしっかり描かれている。一方、最後まで敵国についてや、これが戦争かどうかの情報が、提示されない不気味さが後を引きずる。もし、これが韓国映画ならアイドル俳優を起用した大作になったかもしれないが、わが国では、こんなご時世ゆえ、監督が私財をなげうって、自身が主演した自主映画に。だが、それを微塵も感じさせないパワーが『鉄男』から衰えていないことは、じつに頼もしい。
人間の理性を蝕んでいく戦場の地獄
原作は太平洋戦争末期の敗退するフィリピン戦線を題材にした大岡昇平の小説。思想的な主義主張の押しつけを一切排し、敵味方に関係なく人間がケダモノと化す戦場の地獄を徹底したリアリズムで描く。
熱帯のジャングルで行き場を失い、空腹と恐怖と孤独に理性を蝕まれ、やがて正気を失っていく日本兵たち。『プライベート・ライアン』も真っ青なスプラッター描写を織り交ぜながら、戦争という極限状態に置かれた人間の狂気に迫る塚本監督の演出は極めて骨太だ。
それにしても、これを自主制作でしか撮ることのできない弱腰な日本映画界の情けなさときたら。低予算をものともせず堂々たる傑作に仕上げた監督の志に改めて敬意を表したい。
戦争の記憶が薄れゆく今こそ、日本人が見るべき映画
『硫黄島からの手紙』は戦争の悲惨さに焦点を当ててはいるが、アメリカ軍を苦しめた栗林中将を英雄として描く戦争映画だった。一方、塚本信也監督が自主製作した本作は、地獄となった戦地で哲学的な死生観に思いを巡らせる一兵卒・田村のサバイバルを描く反戦映画だ。フィリピンと思われる東南アジア戦線で展開される不条理でしかない日本軍人のあり方や生への執着が生む狂気がグサグサと胸に突き刺さる。緑豊かな美しい自然と田村を支配する恐怖のコントラストが鮮烈で、人間から人間性を剥奪する戦争の恐ろしさに身震いしてしまう。安保法案改正が進むのは戦争の記憶が薄れている証拠で、本作を見て戦争の残虐性を再確認すべきだ。
「私」としてレイテ島の地獄を追体験する試み
特異な戦争映画だ。本来は自撮り系じゃなく大作にしたかった――とは塚本晋也監督本人の弁だが、しかし結果論を承知で言うと、ミニマムな作りだからこそ「個的体験としての戦争」が高密度で捉えられたように思う。
特に大岡昇平の原作は帰還した田村一等兵の手記という形で記述されているため、その主人公=「私」の中に塚本が潜り込んで、自分のやり方で生き直したような感触だ。市川崑版のオーソドックスなドラマ構築とは全く異なるからこそ、新たに作られた価値がある。
熱帯のギラギラした原色の風景に、スプラッター的な人体破壊が重なる様はシュールな悪夢のよう。作品全体がトラウマティックな映像体として硬質に結晶している。