ザ・トライブ (2014):映画短評
ザ・トライブ (2014)ライター4人の平均評価: 4.3
障害者の聖人幻想を打ち砕く
聴覚障害者を主人公にした映画は、決して珍しいことではない。北野武監督『あの夏、いちばん静かな海。』や、イラン映画『嘆き』もある。いずれも秀作だが前者はセリフの排除、後者は、少年が親族の手話で両親の事故死の真相を知るという、演出家の意図が前面に出ていた。
しかし字幕ナシの本作は、観客を彼らの世界へと放り込む。そこは私たちが抱きがちな障害者=聖人を打ち砕く変わらぬ若者たちの姿であり、ウクライナの殺伐とした社会だ。
本作を見ながら、脳性麻痺である主人公が殺人を犯す柴田剛監督『おそいひと』(2007)を思い出した。同作もまた障害者の置かれた現実を広く提示した野心作であったことを付け加えたい。
エロティックなヴィジュアルにダマされるな!
TOKYOやEXIEに比べれば、派手さはないが“族”としての衝撃度は想像以上。セリフもなく、劇判も流れないため、重いパンチの音、トラックのエンジン音、そしてロッカーが破損する音…生活音が鮮明に耳に飛び込んでくる。さらに、身体言語としての手話が力強く、まるで「ローザス」など舞踊を見るような美しさと緊張感に包みこまれる。確かに深刻なウクライナ情勢も描かれているが、小難しいアート系作品としてみるのはあまりにもったいない。ヒエラルキーが形成された“族”を舞台に、一人の少年が暴力を通して生と性に目覚め、サバイブする日常を描いた“音のない『クローズ』”。エロティック寄りなヴィジュアルにダマされるな!
ざわつきを禁じ得ない“族”という名のリアル
声がなくても訴えることができる。音楽がなくても伝えることができる。映像の可能性を追求した長廻多用の静謐な映像を、まず評価したい。
物理的には静謐だが描かれるのは悪意に支配されたコミュニティ。暴力と犯罪、怒りと憎悪に彩られたドラマは悲劇ではあるが、一方で主人公の暴走に衝撃的なカタルシスを覚えるのも事実だ。ざわつきを禁じ得ない世界がそこにある。
悪漢である主人公の心理にフォーカスした物語はそれでも共感を引き付、なおかつ時限爆弾のようにピリピリした緊張を膨らませたまま、目を離す隙をあたえない。これは聾唖の特殊なコミュニティの話ではない。人間の、ひいては社会の物語だ。
ガチな東欧の闇と、クールな映画的試み
現実の活写と映画の実験が高度に両立した秀作。ブレッソン、ダルデンヌ兄弟といった先例が容易に浮かぶ作風ではあるが、形式に回収されないリアルな痛みに本作の卓越がある。
ウクライナのキエフ郊外――といえばチェルノブイリ原発跡も近いエリアだが、同地での聾唖者の寄宿学校が舞台。同様のモチーフでサイレント映画に接近したものには『名もなく貧しく美しく』や『あの夏、いちばん静かな海。』等があるが、こちらは犯罪が横行する“ヤンキー学園もの”のハードコアVer.だ。
寒々とした風景の中、暴力と性の闇に絡め取られていく男子生徒。美的に統制された演出ながら、アンダークラスの壮絶な青春模様がひりひりと伝わってくる。