ギャラクシー街道 (2015):映画短評
ギャラクシー街道 (2015)ライター2人の平均評価: 1.5
不向き、としか言いようがない。やりたかったんだろうけど。
三谷幸喜の笑いに毒が多く含まれているのは百も承知だが、やはり笑えてナンボのこと。ブラック・ユーモア、という次元以前の問題な気がするが、とにかく笑いの質が不快なのだ。「宇宙」という設定は単に免罪符に過ぎず、繰り出されるのは徹頭徹尾かなり差別的な笑いばかり。もちろん差別が笑いの本質にあることは僕も否定するものではないし、そこで想起したのは筒井康隆だ。筒井もSF(あるいは奇想小説)という枠を借りて差別的な笑いを臆せず扱い、読む者の内に宿る社会通念を蹂躙してきたわけだけれど、この映画の場合そこまでの黒い意思を感じられないのがなんとも辛い。そもそも香取&綾瀬では無理だよねぇ…「HR」は大好きだったが。
一話30分の連ドラだったら…。
“三谷幸喜監督のSF”と聞けば、『ギャラクシー・クエスト』や『アポロ13』的な作風を期待してしまうが、地上で十分に成り立つ話である。しかも、オープニングの「奥様は魔女」オマージュじゃないが、あえてお得意のシットコムで勝負したのも間違い。同じ香取慎吾主演だった「HR」じゃないが、一話30分の連ドラならまだ目をつぶれるギャグをスクリーンで見るのは酷だ。おまけに、クライマックスの展開がこれまた問題作『エイプリルフールズ』と大被りなのもいかがなものか。香取をはじめ、好演しているキャストにとって黒歴史になったわけだが、最悪ミュージカルに徹し、石丸幹二らにも歌わせれば、この大事故は回避できたかもしれない。