ヴィヴィアン・マイヤーを探して (2013):映画短評
ヴィヴィアン・マイヤーを探して (2013)ライター3人の平均評価: 4
誰もが写真家になれる今だから、本当の才能がまぶしい
お宝ハンターの青年がセールで落札した写真の撮影者ヴィヴィアン・マイヤーの素顔に迫る手法は、オーソドックス。遺品や彼女を知る人の証言から風変わりな女性像が浮かび上がり、青年の心に浮かぶのは「なぜ発表しなかったのか?」。フランス人説が出る中盤で強制収容所のサバイバーか何かで身分を隠したいのかと思ったけれど、勝手にドラマを作りすぎでした。テヘッ。未公表だったのは多分、発表の方法がわからなかったからでしょう。スマホで撮ってネットにアップすれば誰でもカメラマンな時代だけど、それは単なる記録であってアートはまた別物。青年の代理公表で高評されているヴィヴィアンの写真を見て、真の才能に圧倒された。
写真家の素顔は写真から連想されるものとは違うかもしれない
いろんな見方が可能。アート系ドキュメンタリー、写真家ドキュメンタリー、死後に評価された芸術家の系譜でもある。そして、人間というものの不思議さを描いたひとつの寓話にも見える。生涯に渡ってストリートの人々の写真を取り続けたこの人物は、どんな人物だったのか。なぜ彼女はこういう写真を撮り続けたのか。なぜ自分が撮った写真を発表しなかったのか。その答を追う、謎解きミステリー仕立ての構成がスリリング。その過程で、彼女の遺した写真の魅力とは別に、彼女が知人たちに"変わり者"と呼ばれる人物だったこと、奇妙な習癖を持っていたことも明らかになる。そして、さまざまな謎の最終的な答は、見る者に委ねられるのだ。
アウトサイドに生きた素人女性の“純粋写真”
古くはゴッホやカフカ、宮沢賢治、近年ではヘンリー・ダーガーなど、死後に評価を受けた偉才は結構いるが、生前は変人奇人のナニーとして過ごしたV・マイヤー(1926~2009)は極めつけの特例だろう。発見のされ方がマジで“たまたま”。この純度の高い偶然性が多くの示唆を呼ぶ。
ファンの熱意を軸としたミステリー仕立ての構成は『シュガーマン』と重なるが、本作は「なぜ彼女は写真を誰にも見せなかったのか?」との問いを一貫させる。
殊にネット時代、我々は「表現」を「承認」とワンセットで考えがちだ。しかしマイヤーの在り方は(闇や狂気も含め)初期衝動や純粋性の視座から、表現活動の本質をもう一度再考させてくれる。