わたしはマララ (2015):映画短評
わたしはマララ (2015)ライター2人の平均評価: 3
マララの衣服がどんどん明るい色になっていく
現在活動中の実在の人物を多面的に描くのは難しいが、本作はその難行に果敢に挑む。映画の原題が「彼は私をマララと名付けた」なのも、その試みのひとつ。政治活動家である父が娘につけたマララという名は、19世紀の英国侵略時に戦った地元の伝説の少女マラライに由来するもの。映画の話者は彼女に「マラライは自分で立ち上がったが、あなたは父親のせいで立ち上がったのではないか」と問い、その答を本作の原題にした。話者は彼女に「あなたが自分の苦労を口に出さないのはなぜか」とも問いかける。
登場人物たちが語る過去の出来事は暗い色調の手描きアニメで、現在の状況は明るい色彩の実写映像。その対比が鮮やかだ。
英雄的な少女の素顔を偶像視することなく捉えた点は秀逸
史上最年少でノーベル平和賞を受賞したパキスタン人の少女マララ・ユスフザイに密着したドキュメンタリーである。
移住先のロンドンで兄弟と無邪気に戯れ、イケメン有名人に胸をときめかせ、時として現実を変えられない己の無力に思い悩む。本作はそんな普通の少女マララの素顔をカメラに捉えつつ、理想のためならメディアからの注目も利用する彼女のしたたかさまで浮き彫りにしていく。もちろん、それは決して悪いことではない。
ただ、日常生活や家族との絆、生い立ちや故郷の出来事など多岐に渡る要素をきちんと交通整理できていないため、何がそこまで彼女を突き動かすのか?という核心が見えにくくなってしまった点は惜しまれる。