火の山のマリア (2015):映画短評
火の山のマリア (2015)ライター2人の平均評価: 3.5
パワフルな風土の熱さと苦さ
中米グアテマラの先住民が暮らす高地を舞台にした、マリアという乙女の懐妊をめぐるお話。市井の日常的リアリズムに神話的なフレームを当てはめる……これはまったく手垢の付いた作劇だが、本作の場合は力強く魅惑的だ。今回が長編デビューとなるブスタマンテ監督は土地と生命のエネルギーをまっすぐに伝えようとしている。
「コーヒーと火山の匂い」という台詞が特に印象的だが、この言葉をアメリカへの過剰な幻想を背景に、両義的な意味合いで提示しているのは重要なポイントだろう。スペイン語ができないマヤ一家の困難が展開していくように、「伝統」と「現代」に引き裂かれた場所であることの苦味が本作のレベルを一段深くしている。
グアテマラのマジックリアリズムに酔う
グアテマラ産のマジックリアリズム。カメラはドキュメンタリーのように火山のふもとで暮らす人々の毎日を映していくのだが、彼らの日常生活にはあたりまえに呪術が溶け込んでいるので、それだけでスクリーンから魔術が立ち上る。この世界だけが持っている、他の世界とは基準の異なる独自の美が出現する。身体を洗う、火の山に供え物をする、豚を殺して料理する、そうした日々の営みのひとつひとつ、それを形作る身体の動きのひとつひとつが、丁寧に映し出されていき、映画のリズムとなっていく。そのリズムが無意識の呼吸のようにゆったりしているので、90分という短い尺の映画なのに、たっぷりとした豊かな時間が流れる。