裸足の季節 (2015):映画短評
裸足の季節 (2015)ライター3人の平均評価: 4.7
社会の因習に青春を奪われた少女たちの哀しみと反逆
トルコの小さな村に住む仲睦まじい5人の美人姉妹。伸び伸びと青春を謳歌する彼女たちだが、その奔放さゆえに封建的な地域社会から異端視され、やがて個人の自由も尊厳も奪われていく。
筆者にはトルコ人の若い女性映画記者の友人が何人もいる。いかにも現代っ子らしい彼女たちの姿からは、本作のような女性への人権侵害などまるで想像がつかないため、少なからず驚かされた。しかし、彼女たちは都会のインテリ層。地方では事情が異なるのだろう。
青春を粉々にされた少女たちの哀しみに涙し、理不尽な大人たちへ反旗を翻す末っ子の勇気と逞しさに救われる。世界各地で虐げられている全ての女性に幸あらんと願わずにはいられない。
因習を吹き飛ばせ!
本作を見ながら、第70回ベネチア国際映画祭で見たギリシャ映画『ミス・ヴァイオレンス(英題)/Miss Violence』(2013)を思い出していた。一見、真面目そうな父。だが彼は娘たちに売春をさせ、自分も性のはけ口にしていた。耐えられず、ベランダから飛び降りた娘…。陰鬱な気分になった。だが、忘れられない。
女性の地位が低く見られていた因習か。今も世界中から、女性たちの叫びが聞こえてくるような映画が届く。本作もまさに。
風光明媚なトルコの景色や少女たちの輝きが増せば増すほど、彼女たちの置かれた状況がいかに残酷であるかを訴える。確固たる主張のある映画はまず映像が力強く、そして胸に響くのだ。
抑圧下のチーム・ガールズ・ファイト
女子特有のエネルギーというと、まさにこの映画(特に前半)が体現する「乱反射」だと思う。四方八方に拡散しながらの問答無用なパワーは、少年群像だと中々出ない。原題は車やギター等の名称としても知られる“MUSTANG”(野生の馬)。本作の原動力は慣習への反逆だ。トルコの村で過剰な生命力を持て余す五人姉妹は繊細かつ狂暴で、もちろん美しく、常に戦闘態勢!
比較対象としては『ヴァージン・スーサイズ』が最も判りやすいが、それよりも『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を引き合いに出す意見を聞いた時、筆者は膝を打った。確かにこれは横暴で強圧的な父という権力者に対する女性チームの闘争/逃走の映画だからである。