聖の青春 (2016):映画短評
聖の青春 (2016)ライター4人の平均評価: 4
粛々と、熱く…
ルックスから村山聖に迫った松ケンの”デ・ニーロ・アプローチ”が話題。
だが将棋バカで常識ナシ、だけど憎めない彼の魅力を際立たせる師匠の森、夢破れて将棋界を去る江川など周囲の人たちの存在なしには語れない。
山下敦弘作品で腕を鳴らした向井康介の脚本によるもので、本作は優れた群像劇でもあるのだ。
その代表が東出昌大演じる羽生善治。
本来、将棋は動きもなく映像には不向きだ。
だが2人の対戦シーンには緊張感と好敵手と向かい合う高揚感に溢れ、将棋盤の上で躍動している2人の心が見えるかのよう。
卓球と将棋と対極にある勝負事なのに、映画『ピンポン』のペコVS.スマイルのラストシーンと重なって見えた。
その執念と生きざまに勝負の世界の厳しさを知る
羽生善治の最大のライバルとされながら、29歳の若さで急逝した棋士・村山聖の半生を描く。これがまあ凄まじいのなんの。持病の治療よりも将棋が最優先。文字通り命を削って勝負に挑む様はまさに狂気の沙汰だが、しかし限りある人生を燃焼し尽くすその姿は清々しくもある。他人に情けなどかけないし、もちろん同情だって求めない。その執念と生きざまは勝負の世界の厳しさそのものだ。
体重増量で役に挑んだ松山ケンイチの気迫もさることながら、もはや100%羽生名人にしか見えない東出昌大の徹底したなりきりぶりにも感嘆。将棋の知識などゼロに等しい筆者でもテンション上がる勝負シーンは、彼らの熱演に負うところが大きい。
“怪童”の圧倒的なキャラ力に魅了される
これだけへヴィな人生を描きながら、森義隆監督の泣かせに走らない演出はさすがであり、オタク気質だった村山聖のキャラ力も相まって、どこかキャッチーさも感じられる。「イタズラなKiss」をこよなく愛し、部屋はマンガとCDで足の踏み場なし。牛丼といえば吉野家、お好み焼は広島のみっちゃんというほど、食のこだわりも強い。そんな“怪童”に山田太郎に、Lと、今年キャラ祭りだった松ケンがデ・ニーロ・アプローチで憑依。完コピな羽生とのまったく噛み合わない名“ラブ”シーンなど、間違いなく今年の日本映画界における森田剛の好敵手に浮上。また、肝心の対局シーンは『ちはやふる』同様、ルールが分からなくても高まること必至だ。
夭折が惜しまれる天才棋士の息吹きを感じる快作
将棋に関しては羽生善治とエッセイストとして大ファンの先崎学しか知らなかったけれど、いや、だからこそ村山聖という夭折した天才少年に魅せられた。病弱で普通の青春を送れなかった代わりに凡人には到達できない棋界の頂点を極めようと戦い続け、あと一歩のところで病に積まれてしまう。「頭が鈍る」と手術の麻酔さえ拒否する勝負師魂は冷静に考えればバカなのかもしれないが、村山の思考のなかでは正解なのである。破天荒というか、奇才というか、類い稀な情熱で多くの人々を魅了した村山が生き続けたらと思わずにはいられない。丁寧な役作りをした松山ケンイチはじめ役者陣はみな好演。勝負の世界の厳しさも伝わる快作だ。