サバービコン 仮面を被った街 (2017):映画短評
サバービコン 仮面を被った街 (2017)ライター7人の平均評価: 2.7
古き良きアメリカの醜い素顔と偽善が暴かれる
‘50年代のアメリカ。白人ばかり住む閑静な住宅街に黒人一家が引っ越してきたことから勃発する騒動と、平和な中流家庭で起きた強盗殺人事件の意外な顛末が並行して描かれる。
古き良きアメリカの醜い素顔と偽善を暴く作品。かりそめの平和と豊かさの裏にあるドス黒いものがまざまざと浮かび上がる。「アメリカを再び偉大に!」なんて言葉をうかつに信じちゃいけないという戒めだ。もちろん、「美しい日本を取り戻す」ってのも同様。
ただ、ブラックな風刺コメディにジョージ・クルーニー監督の実直な演出が噛み合っておらず、ストーリーも2つの元ネタを1つにしたことが丸分かりで上手く融合されていない。
意図に反して偽善的になってしまった
トランプ支持者らが「古き良き時代」と振り返るアメリカの50年代は、白人男性にとっての良い時代。政治的関心の強いクルーニーがそれをシニカルに語りたかったのはわかる。ここで描かれるのは、白人たちが悪いことをしておきながら、悪いことは全部黒人のせいで起こったとする姿。だが、そのために出てくる黒人キャラクターが、ただ「黒人」として非常に薄っぺらくしか描かれていないのだ。いや、薄っぺらいといえば白人もそうなのだが、ならばいっそ殺人ミステリーに終始したほうが、まだマシだったと思う。たとえそうだったとしても後味は悪いままだろうが、少なくとも偽善的にはならなかっただろう。
2つの出来事が並列に並ぶ。その光景が圧巻
郊外の中産階級の住民たちが外部を排除する人種差別と、その住民たちの内部で起きる計画殺人。この2つを文字通り隣り合わせに並べて、さあ、どんなふうに見えますか、と突きつけるという趣向。
コーエン兄弟が書いた計画殺人の脚本に、ジョージ・クルーニー監督が引っ越してきた黒人一家の話をプラスしたそう。おそらくコーエン兄弟の脚本は彼らの「シリアスマン」的な可笑しいがトホホな味もあるコメディなのだろうが、監督がクルーニーなので、テイストがマジメ方向にシフトした? とはいえ、前述の2つの光景がスクリーンに並ぶさまは圧巻。そのあとに出現する場面に、監督の思いが込められているのだろう。
50年代米郊外の光と影をいまの時代に照射する
コーエン兄弟の秘蔵脚本を掘り起こし、黒人排斥の実話と接続させたアイデアが秀逸。尤もコーエン節のフル稼動を求めると、やや堅い印象になるのだが、クルーニーの生真面目さとのブレンドが妙味として結実。ユダヤ系だろ?と聞かれ、いや聖公会だとM・デイモンが答える辺りなど(クルーニーはアイルランド系)、「変換」ポイントを探るのも面白い。
主題はずばりトランプ風刺。白人の幸福期=アイゼンハワー時代を参照する事で、米国の黒歴史にぶっとい串を刺していく。別々の騒動が象徴的に起こる両家のパートが、イノセントな少年同士以外は交わらないのが肝で、ラストのために全てがある!と言いたいほど鮮やかな名シーンで締め括られる。
クルーニー×コーエン兄弟ならではの苦いユーモアが味
ここ一年ほど、多くのハリウッド映画が現代の米国社会を反映して“分断”を描いてきたが、クルーニー監督と脚本コーエン兄弟のチームはブラックユーモアを押し出しながら、それを扱った。
黒人一家に対する差別の一方で浮かび上がる、M・デイモン一家の偽善。スリルが加速するほどそれらは醜さをあらわにし、苦みを増す。ジタバタする人々の描写は笑えるが、笑えない現実も確かに、そこにある。
クルーニー監督作では『スーパー・チューズデー 正義を売った日』に匹敵する痛烈な風刺。コーエン兄弟とのコラボでは『バーン・アフター・リーディング』の毒気を思わせる。結末の救いが印象に残るのは、この毒があるからこそ、だ。
『ゲット・アウト』のシニカルな面白さを予感させ…
設定とストーリーを読む限り、ひじょうに面白い。白人社会の住宅地に黒人一家が移り住む発端は、あの『ゲット・アウト』を、もっと遡れば『シザーハンズ』の不穏な先行きを期待させる。ただ、冒頭の事件シーンから、シリアスに見せたいのか、ふざけて見せるのか、演出も演技も明らかに迷っている感じで、本来ならシニカルな方向になだれ込みそうな展開に暗雲が垂れ込める。そしてそのままの状態が続き、肝心の黒人一家の状況は放置気味で、別の事件が中心になる……のはいいとして、その部分を背負うマット・デイモンの演技から迷いが消えることはない。そういった違和感をスルーして、素直にストーリーだけ追えば、繰り返すが普通に面白い。
出演者&製作陣が所有するオスカー像の数で期待しないように!
コーエン兄弟の脚本をジョージ・クルーニーが監督し、主演も実力派ぞろい。面白いだろうなと思ったら、驚いた。悪い意味で。まずマット・デイモン演じるいいパパ一家にまつわる設定が無理やりだし、ブラック・コメディなのにまったく笑えないのが切ない。製作陣が伝えたいメッセージはわかるけど、それを表現するための風刺は使い古された感たっぷり。80年代に作ったのなら、新鮮だったかもしれないが、21世紀の観客は呆気にとられるかも。TVシリーズ『ナイト・マネジャー』で気になっていた子役ノア・ジュープの好演だけが救いだった。