エヴァ (2018):映画短評
エヴァ (2018)ライター3人の平均評価: 3
多様な解釈を呼び起こす“偽り”のファム・ファタール映画
あらゆる意味で期待はかわされるが、多様な解釈を呼び起こす。原作「悪女イヴ」や、ジャンヌ・モロー主演映画化版『エヴァの匂い』とは異質な作劇。娼婦に扮する大女優イザベル・ユペールは謎めく妖艶さに欠けるが、そこに大いなる意味をもたせている。老作家から戯曲を盗んでデビューした新進作家ギャスパー・ウリエルが、次作創造に苦闘する過程で或る女性と出会う。人間を観る才能なき偽作家が、彼女の本性をファム・ファタールだと思い込んだことに始まる破滅の物語だ。恋愛を含むおよそ全ての人間関係は、主観という“誤解”の上で成り立っている悲喜劇にすぎないなのかもしれない――これもまたひとつの解釈。貴方の眼にはどう映るか?
嘘に溺れる男と嘘を自在に操る女 ※本編鑑賞後にお読みください
かつてジョセフ・ロージーが『エヴァの匂い』として同じ原作を映画化したが、あらすじは似ていても仕上がりの印象はだいぶ違う。これは舞台設定を変えたことよりも、登場人物のキャラ造形の周到なアレンジによるところが大きいだろう。
偽りの才能で偽りの名声を手に入れたジゴロが、偽りの生活を送る年上の娼婦エヴァに夢中となる。どちらも嘘で塗り固められた人間だが、しかし彼は己の野心のため重ねた嘘に溺れ、彼女は他者のため自在に嘘を操る。これは一見すると悪女に身を滅ぼされる男の物語だが、実は利己的な虚栄心が無私の愛に敗北する物語とも言えよう。その意味において、エヴァの言葉には一点の曇りもない。
イザベル・ユペール、魔性と飼い殺しの狭間で…
夫の長期不在で、豪華な自宅も使って客を取り、S&Mプレイなど相手の要望に何でも応える(らしい)。年齢を重ねたゆえのこの魔性、イザベル・ユペール以外ではここまで表現できないだろう。しかし、(らしい)と記した通り、オスカー候補になった『ELLE エル』のような過激な描写は意識的に避けられ、官能を期待する観客は寸止め&肩透かしを食らう。盗作によって売れっ子劇作家になった男が、女の魔性で破綻する過程もやや中途半端で、こちらはウリエルがミスキャストだったような。にもかかわらず、謎と毒味、妖しさがブレンドした空気を漂わせ、最後までテンションを維持する演出の力技は感じる。官能ではなく“感応”する映画。