ダンスウィズミー (2019):映画短評
ダンスウィズミー (2019)ライター3人の平均評価: 2.7
クラシカルでもアップデートでもない凡庸さ。
たいていの矢口映画にどうにも僕がノレないのは「どうせ映画なんて嘘だから」と思ってるのかどうか、理屈に合わないきっかけから強引に次の展開を作っていくところである。今回は設定からして、そうした無茶の連続で成立していてなんともシラケる。そもそも三吉彩花にここまで仏頂面させ続けるのが意味不明。催眠術がかかったというテイのミュージカル・シーンとの落差を狙ったのだろうけど、見ていてただ不快でしかない。選曲が懐メロばかりなのはいかにもアルタミラピクチャーズ企画制作という感じで悪くはないのだけど、編曲・振付は微妙だし、三吉ややしろのダンスにもイマイチ熱量とセンスが感じられず。ただしchayは予想外の怪演。
まさかの原点回帰で、ミュージカル
ハウツーものやスポ根ものではなく、逆境に立ち向かう女のコがロードムービーという意味では、矢口史靖監督の劇場デビュー作『裸足のピクニック』~『ひみつの花園』の流れに近い。とはいえ、ヒロインに降りかかる災難が雪だるま化しないこともあってか、ブラックコメディとしてはやや弱く、前半のオフィスのような派手なミュージカルシーンが続くわけでもない。そんななか、矢口作品おなじみのゲロ描写や子役、人形の登場シーンはもちろん、今回の使用楽曲の中では「ウエディング・ベル」など、まったくもって“正しい使われ方”に思わずニンマリ。胸糞悪いおばちゃんキャラを演じた、やしろ優のハマりっぷりもいい。
監督の狙いと裏腹に、やはり「違和感」こそ魅力ではないかと
突然歌って踊り出す、ミュージカル映画の違和感をなくす監督の発想に「この設定があったか!」と感心してる人が多いけど、いやこれ、十分に「違和感」。しかも催眠術のせいで踊り出す主人公はともかく、周囲もミュージカル場面を作ってしまうのは、作劇としても非現実で、つまりこれは「違和感」を「楽しむ」という、正統派ミュージカルなのである。監督には申し訳ないが…。
ここ数作、その作風がシフトしていた矢口監督だが、今回は『ウォーターボーイズ』『スウィングガールズ』あたりの、いい意味での照れ臭い感じ、猪突猛進ノリが復活してる。それらを愛した人には直球かと。そして「至宝」宝田明先生の軽妙なステップは眼福であります。