宵闇真珠 (2017):映画短評
宵闇真珠 (2017)ライター3人の平均評価: 3
失われ行く古き良き香港へのノスタルジー
クリストファー・ドイルが「香港三部作」で組んだ女性製作者ジェニー・シュンと共同監督を務めた作品だが、恐らく演出未経験のシュンをドイルがサポートしたというのが実際のところなのだろう。再開発計画の進む香港の古びた漁村で、孤独な美少女アンジェラ・ユンと流れ者の日本人オダギリジョーが出会う。そこは人々が昔ならではの暮らしを守り、携帯もパソコンも存在しない異空間のような世界。古き良き香港へのノスタルジーと、’90年代香港映画へのオマージュが甘美な幻想を漂わせ、無垢な時代の終焉と少女の大人への目覚めが詩情豊かに綴られる。繊細で美しい作品だが、しかし雰囲気先行という面も否めない。
幻想的な世界へと誘うヒロインの透明感
浅野忠信がクリストファー・ドイルが組んだ『孔雀』をどこかイメージさせながら、本作はジェニー・シュン監督主動の企画だけに、香港返還前後に撮られたドイル作品のカオスな雰囲気や色彩美とは縁遠い。しかも、原題の「White Girl」が示すように、キーワードは白い肌を持つヒロインを演じるアンジェラ・ユンの透明感にほかならない。彼女がウォークマンやカメラを手にし、テレサ・テンの「但願人長久」を口ずさむだけで、画になっていく。完全なアート系と思いきや、漁村で生きる香港人の熱いメッセージや、『九龍猟奇殺人事件』の犯人役で注目を浴びたマイケル・ニンがある意味、敵役である市長役をコミカルに演じる点にも注目。
音楽を味わうように、色彩を味わう
音楽を味わうように、香りを味わうように、色彩を味わう映画。自分を幽霊だと思っている少女と、自分を廃墟のようだと言う男、そんな2人の出会いも色彩の中に溶けていく。その色は題名の「宵」「真珠」のようにぼんやりと柔らかく、明るく澄んでいるが網膜にやさしい低刺激性。基調色は、奇妙に明るい宵のような青。撮影・共同監督のクリストファー・ドイルが90年代に撮った極彩色のアジアとは色彩はまったく違うが、色で魅了するところは変わらない。
その色と一緒に漂う、静かでやわらかな音楽を手掛けたのは、イギリスの2人組、ラング・ダート。浮遊感のあるアンビエントのような音が色と溶け合っていく。